ブルガリア、ルーマニア
2004年5月1日、新たに10ヶ国がEUに加盟したが(参照)、ブルガリアとルーマニアの加盟は2007年以降に先送りされた(参照)。これは、両国が加盟要件 (参照)
を完全に満たしていないためであるが、2004年10月、欧州委員会は、両国は2007年1月までに @経済的要件と A
EC法の総体系(acquis communautaire)の受入れの要件を充足し、EU加盟は実現しうるであろうとの見通しを示した。なお、行政・司法制度改革、汚職
の撲滅、また、少数派の保護など、さらなる取り組みが必要な分野もあるが、B政治的要件は基本的に満たされているとしている。
New |
2005年4月25日、ルクセンブルクにおいて、加盟協定 が締結された(詳しくは こちら)。
|
|
New |
2006年9月26日、欧州委員会は、ブルガリアとルーマニアの2007年元旦加盟を提案した(詳しくは こちら)。
|
|
New |
ブルガリアとルーマニアのEU加盟が実現するには、両国と全てのEU加盟国 によって加盟協定が批准される必要がある。現在、23のEU加盟国が批准手続を済ませているが、まだ完了していないデンマークは2006年10月10日に、また、ドイツは10月19日に国会での審議(第1読会)を開始させている(参照)。また、10月18日、欧州委員会の Rehn 委員(EU拡大担当)は、ドイツ連邦議会(Bundestag)のヨーロッパ部会において演説し、加盟協定の締結を訴えている(参照)。
(参照) ドイツ連邦議会(Bundestag)の欧州部会の決定
|
|
New |
2006年10月27日、ドイツ連邦議会は、連邦政府より提出されていた国内法案(ブルガリアとルーマニアのEU加盟にかかる国内法案)を圧倒的多数の賛成で可決し、東欧の2国のEU加盟を了承した。賛成票は529、反対票は12、棄権票は10であった(参照)。
|
|
New |
2006年10月26日、欧州委員会の Barroso 委員長は、ブルガリアの Meglena Kuneva 大臣(ヨーロッパ政策担当)を新しい欧州委員に指名すると発表した。担当分野は消費者政策とされている。また、10月30日には、ルーマニアの
Leonard Orban 氏(現職は欧州統合省次官)が多言語政策担当委員として選出されている。
詳しくは こちら
|
|
New |
2006年12月14/15日、欧州理事会(EU加盟国首脳会議)は、ブルガリアとルーマニアの2007年元旦加盟を了承した。
詳しくは こちら
|
|
 |
ブルガリアとルーマニアのEU加盟
完全な統合は先送り |
|
ブルガリアとの加盟交渉は、すでに2004年6月に終了しており、欧州理事会の最終決定を待つ状態にある。
その後の発展 
・ |
2004年12月17日、欧州理事会は、同年12月14日にブルガリアとの加盟交渉が終結したことを了承し、2007年1月にEU加盟が実現しうるであろうと述べている(参照)。
欧州議会の承認が得られるならば、2005年4月25日に 加盟協定 が締結される予定である。
|
・ |
2005年4月13日、欧州議会は、圧倒的多数で加盟協定の締結を承認した(詳しくは こちら)。
|
・ |
2005年4月25日、ルクセンブルクにおいて、加盟協定 が締結された(詳しくは こちら)。
|
・ |
2005年10月25日、欧州委員会は加盟準備作業の進捗状況について、報告書を公表した(詳しくは こちら)。
|
・ |
2006年5月、欧州委員会は2007年元旦の加盟について報告書を発表するが、ブルガリアの制度改革のテンポが緩んでいることを批判する見解も少なくない(詳しくは
こちら)。
欧州委員会、2007年の加盟に期待をつなぐ
|
・ |
2006年9月26日、欧州委員会は、ブルガリアの2007年元旦加盟を提案した(詳しくは こちら)。
|
・ |
2006年12月14/15日、欧州理事会(EU加盟国首脳会議)は、ブルガリアの2007年元旦加盟を了承した(詳しくは こちら)。
|

|
ブルガリアとルーマニアのEU加盟
完全な統合は先送り |
|
|
ブルガリアのEU加盟の意義
他方、ルーマニアとの交渉は、競争政策、環境政策、また、司法・内政分野 においてまだ終結しておらず、2004年内の完了は困難と欧州委員会はみているが、その可能性を完全に否定しているわけではない。同年中に加盟交渉を終了させ、翌年初旬に加盟協定を締結することが目標とされている。また、2007年1月のEU加盟も非現実的ではないとしているが、欧州委員会は、1年間、延期する必要性も否定していない。
その後の発展 
・ |
2004年12月17日、欧州理事会は、ルーマニアとの加盟交渉も、主要事項に関しては同年12月14日に終結したことを歓迎し、2007年1月にEU加盟が実現しうる
との見通しを示した(参照)。
欧州議会の承認が得られるならば、2005年4月25日に 加盟協定 が締結される予定である。
|
・ |
2005年4月13日、欧州議会は、圧倒的多数で加盟協定の締結を承認した(詳しくは こちら)。
|
・ |
2005年4月25日、ルクセンブルクにおいて、加盟協定 が締結された(詳しくは こちら)。
|
・ |
2005年10月25日、欧州委員会は加盟準備作業の進捗状況について、報告書を公表した(詳しくは こちら)。
|
・ |
2006年5月、欧州委員会は2007年元旦の加盟について報告書を発表する(詳しくは こちら)。
欧州委員会、2007年の加盟に期待をつなぐ
|
・ |
2006年9月26日、欧州委員会は、ブルガリアとルーマニアの2007年元旦加盟を提案した(詳しくは こちら)。
|
・ |
2006年12月14/15日、欧州理事会(EU加盟国首脳会議)は、ルーマニアの2007年元旦加盟を了承した(詳しくは こちら)。
|
 |
ブルガリアとルーマニアのEU加盟
完全な統合は先送り |
|
|
ルーマニア大統領、自国のEU加盟について語る
クロアチア
旧ユーゴスラビア連邦より1991年6月に独立したクロアチアとのEU加盟交渉の開始も、すでに了承されており、2005年中にも交渉が開始される予定である(参照)。また、EU加盟に必要な制度改革を支援するために、EUの経済支援も実施されることになっている(2005年は1億500万ユーロ、2006年は1億4000万ユーロ)。
New |
2005年10月4日、加盟交渉は正式に開始された(詳しくは こちら)。
|
|
なお、トルコとの加盟交渉に同じく、EUの基本原則(人権の保障、民主主義、法の支配)の重大違反が継続するときは、加盟交渉を中止すべきとしている(参照)。また、クロアチアとの交渉については、同国が国連の旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所に協力することを条件としているが、Del Ponte 主任検事は、近時、クロアチア政府の取り組みは緩慢になっており、2001年6月より逃亡中の
Gotovina 容疑者の拘束・逮捕にも積極的ではないと批判し、クロアチア政府に圧力を加えるよう、EUにも要請している(参照)。
クロアチアの Ante Gotovina 元将軍は、1995年8月、祖国をセルビアの支配から解放した際、150人のセルビア人を殺害し、15万人を追放した容疑で数年前より告訴されている。しかし、身柄はまだ拘束されておらず、クロアチア
国内に潜伏しているとされるが、外国人部隊の一兵士より、将軍に上りつめた Gotovina 氏の人気は高く、国の関与の下、逃亡を支援するネットワークが構築されているとみられている。そのため、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所は、クロアチア政府に対し、身柄の拘束・引渡しを要求しているが、同時にEUにも協力を要請している。
New Gotovina 容疑者、逮捕される
|
|
他の2国と同様、2007年1月のEU加盟をクロアチアは目指しているが、欧州委員会は、非現実的であるとみている。
2004年12月17日、欧州理事会は、クロアチアとのEU加盟交渉を2005年3月17日に開始すると決定した。もっとも、クロアチアが国連ユーゴラビア法廷に無条件に協力することが交渉開始の要件とされている(参照)。
ユーゴスラビア内戦の勃発から13年が経過したが、クロアチアは、スロベニア(参照 @、A)に次いで、2番目にEUに加盟する可能性が出てきた。
3月16日のEU加盟国外相会議で、加盟交渉の開始が全会一致で決定されれば、翌17日に交渉は開始される予定であるが(外相会議は、加盟交渉の先送りを決定した[詳しくは
こちら])、国連の旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所への協力が十分ではないことから、否定的見解が大勢を占めている。なお、外相会議に先立ち、3月10日には、大使級レベルでの会合(加盟国のEU大使の会合)があり、仮決定が下される予定である。
|
|
|