アイルランド国民投票の結果 はEU中に大きな衝撃を与えたが、今後の対応として、以下の3つの方策が考えられる。
1.リスボン条約の発効断念
国民投票の結果が発表されると、欧州委員会の Barroso 委員長や独仏首脳は直ちに声明を発表し、まだ批准を終了していない加盟国 に手続の続行を要請しているが(詳しくは こちら)、今後も批准を見送る国が出てくるとすれば、リスボン条約の発効は断念せざるをえない。この点については、イギリスやオランダだけではなく、チェコの動きが注目されるが(詳しくは
こちら)、EU懐疑派として知られるチェコの Klaus 大統領 は、同条約発効の可能性は断たれたと述べている(参照)。また、同国やその他の加盟国が批准を決定するにせよ、アイルランドが批准しないままであると、リスボン条約は発効しえない。
(1) 新条約の制定
実際にそのようなことが生じる場合、新しい条約の制定といった野心的な選択も出てくるが、欧州憲法条約、リスボン条約 に代わる「第3の条約」の制定は決して容易ではない。また、これがアイルランド国民を含め、全EU市民の声を適切に反映した方策であるとも限らない。@
常任の欧州理事会 というポストの新設、A 欧州議会の立法権限の強化、また、B 一部の政策の拡充といった点を断念するならば、現行のニース条約体制のままでも、EU統合は十分に機能するため、新条約を制定はする必要性はない。
(2) 一部の加盟国間における緊密な統合
新条約の制定は容易ではなく、また、仮に制定されるにせよ、発効するとは限らないため(いずれかの国によって批准が見送られる可能性がある)、欧州統合に積極的な加盟国間でのみ統合を推進することの方が現実的である。法的にも可能であり(詳しくは
こちら)、広い意味では、ユーロの導入 もその一例に当たるが、欧州「統合」の理念に照らせば、最善の策ではない。
2.批准手続の中断 − 検討期間の導入
2005年5・6月、フランス国民 と オランダ国民 は、欧州憲法条約の批准を相次いで否決したが、その後も各国の批准手続は続行され、特に、ルクセンブルク は7月10日に国民投票を実施し、批准を決定している(詳しくは こちら)。その一方で、イギリスは批准手続の中断を発表しただけではなく、2005年6月の欧州理事会(加盟国首脳会議)の席では、別の案件で他の加盟国と対立し、EUを深刻な危機に直面させた(詳しくは
こちら)。その打開策として、加盟国首脳は、欧州憲法条約について、1年間の再検討期間を設けること(いわゆる Plan D)を決定した(詳しくは こちら)。EU市民の声に耳を傾けるべきとする要請は変わっていないため、リスボン条約についても、批准手続を一時中断し、欧州統合の在り方について再検討する必要性も否定しえない。
2008年6月16日、ルクセンブルクで定例のEU理事会(加盟国外相会議)が開かれたが、アイルランドの Martin 外相は、上掲の一部の加盟国間における緊密な統合を支持せず、検討期間の必要性を訴えている(参照)。また、現在、議長国を務める スロベニア の Rupel 外相も、アイルランド国民ないしEU市民の判断を尊重せず、批准手続を続行することは危険であるとして、検討期間の導入を提唱している(詳しくは
こちら)。
3.リスボン条約を発効させるための特別策の導入 − 国民投票の再実施
これまでもEU基本条約の批准を拒否した国に対し、様々な特別策が講じられてきたが(詳しくは こちら)、リスボン条約による現行法の改正は限定されている。また、加盟国からEUに新たに権限を移譲する分野(エネルギー、宇宙、観光、災害対策)も限定的である。それゆえ、従来のような特別策を導入する余地はほとんど残されていないが、EUは加盟国の主権を尊重するといった趣旨の議定書ないし宣言をリスボン条約内に盛り込み、アイルランド国民の不安を和らげた上で、再度、国民に審判を問うことも可能である(参照)。
ニース条約に関しても、アイルランド国民は第1回目の投票で批准を否決したが、同国に関する特例が設けられた後に再び国民投票が実施され、批准が承認された。この先例に照らせば、特別策を設け、再び国民投票を行うとする選択肢が最も現実的である。ただし、ニース条約については、第2回目の投票率が大幅に伸びたことが「勝因」とされているが、リスボン条約については、投票率がすでに高く、これ以上の伸びは想定しがたいとされている(参照)。国民投票の実施前、Cowen 首相は、2度目はありえないと語っていたが、現在は、態度を保留している(参照)。また、議定書のみでは不十分で、より徹底した見直しが必要であると述べている(参照)。
実施日・テーマ
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投票率(%)
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賛成票(%)
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反対票(%)
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2001年 6月 7日 ニース条約の批准
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34.8
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46.1
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50.4
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2002年10月19日 ニース条約の批准(再)
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49.5
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62.9
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37.1
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2008年 6月12日 リスボン条約の批准 |
53.1
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46.6
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53.4
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(出典)
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なお、これまでEU加盟国政府や欧州委員会は、「Plan B」の可能性を否定していたが、国民投票の結果を受け、代替案の作成について審議されることになろう。
4. アイルランドのEU脱退
リスボン条約の批准を見送る国はEUから脱退しなければならないとし、アイルランド政府がこの点を強調していたならば、国民投票の結果は大きく異なっていたと解されるが、実際には脱退する義務はない。また、アイルランドが自主的に脱退することも、現行EU法上は認められていない(詳しくは
こちら)。もっとも、現行法を改正すれば、脱退の道も開かれる。また、EU法ではなく、一般国際法に基づき、脱退する可能性も完全には否定されていない。ただし、政策上の観点、特に、アイルランドがユーロを導入していることを考慮すると、この選択肢は現実的ではない。アイルランドは、一時的に欧州統合過程から離脱すべきであるとする見解も主張されているが(詳しくは
こちら)、同様の理由から支持しえない。アイルランドの離脱よりは、むしろ、前述した、一部の加盟国間における緊密な統合 の可能性の方が大きい。
6月16日には、定例のEU理事会(加盟国外相会議)が予定されている。また、同19・20日には、定例の欧州理事会(加盟国首脳会議)が開かれることになっており、これらの定例会議で今後の対応策は審議される。実質的な作業は、2008年下半期に入ってから行われると解されるが、同期間中に議長国を務めるフランスのリーダーシップが試される。特に、アイルランドを孤立させず、また、欧州統合に懐疑的なポーランドやチェコを「共通の家」に引き止め、全加盟国の結束力を強めることができるかどうか注目される。
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