2000年3月、EU加盟国首脳は、2010年までに、EUを「より良い職業をより多く創出し、社会的連帯を強化した上で、持続的な経済成長を達成しうる、世界中で最もダイナミック、かつ、競争力のある
知識経済」(“the
most competitive and dynamic knowledge-based economy in the world, capable of
sustainable economic growth with more and better jobs and greater social
cohesion”)地域に発展させるという目標を定めた。要するに、IT技術革新、市場の活性化、完全雇用の実現、また、企業競争力の強化に必要な諸策を実施することによってEUをより豊かにし、残存する地域間格差を是正することが向こう10年間の政策目標として定められた。
2000年3月の欧州理事会の最終決議(リスボン戦略)は こちら |
この包括的な経済・社会計画は、
リスボンで採択されたこともあり、リスボン戦略(Lisbon Strategy)と呼ばれているが、これが採択された背景には、IT技術の発展に支えられ、米国経済が飛躍的な伸びを示し、ヨーロッパ企業を凌駕しようとしていたことがある。また、インターネットや携帯電話の普及に関し、EU内には地域間格差がみられ、その是正が必要とされた。
伝統的に、ヨーロッパ諸国は労働者の権利を厚く保障しているが、この方針を維持し、また、国際化や高度情報化といった新しい経済・社会環境に適切に対応するには、確固とした取り組みが必要になった。また、アジア諸国の経済発展や、EU内の人口減少・高齢化にも対処する必要があった。
リスボン戦略は、経済成長によって市民の生活の質を向上させるといった新自由主義的な考えに基づいているが、目標とされているのは単なる経済成長ではなく、IT産業に代表されるような 知識経済(knowledge-based economy)の振興である。つまり、ソーシャル・ダンピングによってEU企業の競争力を強化したり、低賃金労働を創出して労働市場を活性化するのではなく、高い技術力を必要とする専門職をより多く生み出し、付加価値のある製品の生産性を向上させることを目標にしている。
リスボン戦略の内容は非常に多岐に渡るが、規制緩和ないし構造改革、情報通信技術の発展、生産性の向上、労働市場の柔軟化など、いわゆる、米国流のNew Economy
論に倣っている(もっとも、リスボン戦略の中では、この概念の代わりに知識経済(knowledge-based economy)という用語が用いられている)。その野心的な内容は以下の2つの柱からなっている。
(1) eEurope - an information society for all
知識経済への移行は、経済成長と競争力の強化をもたらすだけではなく、多くの雇用を創出する。また、市民の生活の質を改善するだけではなく、自然環境の保護にもつながる。そのため、加盟国は協力して、すべての者に開かれた情報化社会(eEurope - an information society for all)の確立に努めなければならない。EU理事会と欧州委員会には、eEurope 行動計画(eEurope Action Plan)を作成し、2000年6月の欧州理事会に提出することが求められたが、欧州理事会自身も以下の目標を定めている。
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2001年末までに、EU内の全ての学校にインタネットやマルチメディア機器を整備し、また、2002年末までに、これらの設備の使用に関する技能を教員に習得させる。
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2003年末までに、加盟国は、主な公共サービスへの電子アクセスを可能にする。
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さらに、以下の目標が設けられた。
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電子技術の潜在的能力を完全に引き出すには、電子商取引(e-commerce)に関する法的枠組みを整備しなければならない。そのため、EU理事会と欧州議会は、電子商取引、著作権等の知的所有権、e-money、消費者保護や裁判管轄に関する規則などを2000年内に制定する。
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2001年末までに、テレコミュニケーション市場を完全に統合し、国内市場における企業間競争を高める。加盟国は、地域の電話回線網に関する市場競争を促し、インターネット接続料の値下げに努めなければならない。さらに、高速インターネット回線の普及を奨励しなければならない。 |
(2) 知識経済(knowledge-based economy)の実現
インターネットに代表される先端技術の開発に関し、EUは米国に大きな遅れをとっている。その主たる要因として、研究・開発への投資額が少ないことが考えられる。研究・開発への投資は、経済発展や雇用創出、また、社会的連帯の形成に大きく貢献しうるため重要である。European Area of Research and Innovation
を創出し、知識経済への移行を実現するには、国内外の研究プログラムのネットワーク化、民間の研究投資環境の改善(税制優遇措置の導入)、EU内の教育施設や研究機関間のネットワーク構築(2001年末まで)、研究者のEU内移動の容易化(2002年末まで)、EC特許権の創設、また、権利保護制度の改善(2001年末まで)などを通して、EU内の研究・開発を奨励することが必要になる。
(3)
起業の奨励と刷新的なビジネスの支援
EU内では、市場へのアクセスや新事業の立ち上げも容易ではないばかりか、中小企業は国際競争力を身につけていない。このような問題を克服し、EU市場をよりダイナミックにする必要がある。
(4)
域内市場の統合と活性化
幾つかの部門において、域内市場は依然として完全に統合されていない。ガス、電気、郵便事業、運輸、航空などの市場の自由化を迅速に行わなければならない。
また、サービス市場(特に、テレコミュニケーションとインターネット部門)においては、障壁が残っているので、2000年末までに対策を決定する必要がある。さらに、国内の公共調達制度の改善や、市場競争の公正化(加盟国による企業支援の規制を含む)について検討しなければならない。包括的な構造改革も不可欠であるが、Cardiff
欧州理事会の最終決議に基づき、これを実施する。
(5)
金融市場の統合
経済成長と雇用創出には、資金の適正配分が重要である。そのため、金融市場の統合を加速し(2005年までに金融市場行動計画を実施する)、また、中小企業への投資を促進しなければならない。さらに、ヘルシンキ欧州理事会の決議に基づき、懸案の租税問題を解決する。
(6)
マクロ経済政策の調整
経済成長と雇用創出を実現するため、EU理事会と欧州委員会は、租税、公共投資、財政の長期的均衡に関する問題を検討し、欧州理事会に報告する。なお、リスボン戦略の採択に先立ち、欧州委員会は、成長・安定化協定の遵守や財政均衡の重要性を提唱していたのに対し
(参照)、欧州理事会は、財政均衡の重要性を認識する一方で、厳格に適用する必要性について触れていない。
1.
社会政策 − 貧困の克服、社会モデルの現代化
今日、ヨーロッパでは高水準の社会保障制度が確立しているが、地域間の経済格差や貧困問題が残存している。また、人口の高齢化や年金保障など、緊急の取り組みを要する政策課題も新たに生じている。
知識経済への移行は、経済を活性化し、雇用率を改善するため、前掲の社会問題に適切に対処しうるとEU加盟国は捉えている。
他方、知識経済への移行によって、社会保障制度の質が低下してはならないとされる。つまり、EUは、ソーシャル・ダンピングによって国際競争力を強化しようとするものではない。高水準を維持するため、加盟国間の情報(最も成功した国内措置に関する情報)交換を強化・促進するだけではなく、諸機関が協力し、2020年までの年金制度のあり方について検討する。また、貧困を撲滅するための最善策は職業保障であり、加盟国の政策を調整したり、EUの予算を用いて労働を奨励するものとする。さらに、2002年12月のニース欧州理事会において、欧州社会アジェンダを採択することが定められた。
2. 雇用政策 − 完全雇用の達成
従来より、EU加盟国は、EC雇用政策のガイドラインを定め、国内での実施を奨励しているが(いわゆる、ルクセンブルク・プロセス)、これによって失業率は大幅に改善されている。既存のガイドラインを充実させ、また、その他の関連する政策分野との結びつきを緊密にすること、さらに、ソーシャル・パートナーなど、第3者との共同作業を強化することが新たな課題となる。知識経済の創設に対応し、完全雇用を実現するためには、労働者の技術の向上が必要になるが、ヨーロッパ社会モデルの基礎となる生涯教育の推進を重視し、労働時間や研修期間の導入など、企業側の柔軟な対応が求められる。そのため、特に進歩的な企業は表彰することも考慮されるべきである。さらに、職場における機会均等や男女平等、また、仕事と家庭の両立(特に、子供の養育時間の確保)についても検討を要する。
なお、従来の取り組みにもかかわらず、リスボン戦略が採択された当時の失業率は、依然として高く(EU平均で約10%)、失業者数は1500万人に達していた。また、欧州委員会は、以下の点を指摘している。
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米国に比べ女性労働者が少ない。
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米国に比べサービス部門の就業者が非常に少ない。
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失業率はドイツ、フランス、イタリア、スペインで高く、また、地域間の格差が大きい。
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失業者の半数は1年以上にわたり就業していない。
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技術的問題が残っている。特に、IT部門では、教育・職業訓練に対する投資が少なく、必要な技術を習得している労働者が少ない。
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55〜65歳の労働者数が非常に少ない。 |
失業は、市民を社会から隔離し、貧困に追いやる。このような状況を改善することは、ヨーロッパ社会の「癌」を克服することであると欧州委員会は捉えている。つまり、完全雇用を達成し、豊かな生活を保障することは、EUの最も貴重な財産である人的資源の有効利用に貢献するだけではなく、社会保険や犯罪対策費等の削減、また、年金問題の解決にも役立つ。そのため、完全雇用の実現は最も根本的な政策課題であり、経済・社会政策の「鍵」とされている。
欧州理事会の立場もこれに合致しており、教育・職業訓練への投資を増やし、また、より質の高い職をより多く創出するために必要な措置を講じなければならないとしている。それと同時に、貧困や失業といった問題への取り組みも必要であるとしている。
雇用政策については、具体的な数値が欧州理事会によって設定された。つまり、リスボン戦略が採択された当時の全体の雇用率は61%であったが、2010年までに70%に近づけ、また、女性労働者の雇用率を当時の51%から、2010年までに60%に引き上げるとする。なお、欧州委員会は、失業率を最も状況の良い加盟国の水準(約4%)にまで下げることを提案していたが、欧州理事会の最終決議には盛り込まれていない。
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