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EUの旗 トルコのEU加盟問題

2006年版 報告書

欧州委員会、制度改革の大幅な遅れを批判

トルコ国旗


 EU加盟を希望する第3国の状況(EU加盟に必要な制度改革の状況)について、欧州委員会は毎年、報告書を公表しているが、2006年11月8日、2006年度版が発表された(ダウンロードは こちら)。

 かねてより注目されているのは(参照)、トルコに関する評価であるが、委員会は、オンブズマン制度の導入やジプシーの定住権に関する法律の制定など制度改革に向けたトルコの取り組みを確認する一方で、この1年間、その進捗状況は緩慢になっており、多くの分野で遅れが目立つと批判している。特に、問題視されているのは、キプロス問題 の解決ないし アンカラ議定書 の実施であるが、欧州委員会は2006年末までに完全に履行するよう要請している。同議定書は、従来のEU加盟15ヶ国とトルコとの間に設けられていた関税同盟を、新EU加盟10ヶ国に拡大することを目的として締結されているが(詳しくは こちら)、それに基づき、トルコは、キプロス(新EU加盟国)からの船舶や航空機の乗り入れ禁止を解除しなければならない。もっとも、トルコは、北キプロス(トルコ系キプロス)の安全保障ないし キプロス問題 の未解決を理由に、これをまだ実施していない(参照)。そもそも、トルコとの加盟交渉は、この議定書の締結を受け開始されており(参照)、加盟交渉の進展にも重大に関わる案件である(参照)。従来より、EU側は、2006年末までの実施を再三、訴え(参照)、その要請が満たされない場合は、加盟交渉の中断もありうるとしている。この点について、欧州委員会は、11月8日に発表された報告書において、最終的な見解を示しておらず、12月14・15日開催の欧州理事会開催まで外交交渉を進めるものとしている。そして、同理事会開催までに事態が改善されないときは、理事会に対策(制裁)を提案するとし、トルコに圧力を加えている。「委員会は5週間の猶予期間をトルコに与えた」と分析するメディアが多いが(参照)、まだ具体策を提案していない理由について、Rehn 欧州委員 (EU拡大政策担当)は、母国フィンランドキプロス問題 の解決に向けた交渉を進めているだけではなく、適切な時期を検討した結果であると述べている(参照)。なお、報告書の中で、欧州委員会は、EU加盟の展望がトルコの制度改革を推し進める重要な要因になることを強調し、EUへの門戸を完全にシャットアウトしていない。また、来年度度以降も、トルコの加盟準備作業を財政的に支えるべきとされている。2005年10月に開始されたトルコとのEU加盟交渉を中断するには、全EU加盟国の賛成が必要になる。

 報告書において、欧州委員会は、さらに、軍隊に対するシビリアン・コントロール、表現と宗教上の自由(参照)の保障、女性、労働組合、少数派の権利の保護の点において、徹底した改革が必要であると指摘されている。

 委員会の報告書を受け、トルコの Gül 外相は、民主化を徹底して進めると述べたとされる。他方、アンカラ議定書の履行については、依然として消極的であると解される。近時、Erdogan首相は、北キプロスの孤立が解消されない限り、船舶や航空機の乗り入れを認めるわけにはいかないとする従来の立場を繰り返し主張している(参照)。



 委員会は、トルコの他に、クロアチアとマケドニアの加盟候補国、また、将来、加盟候補国となりうる旧ユーゴスラビア構成諸国の制度改革状況について報告書を発表している。さらに、2006〜2007年間のEU拡大戦略やEUの受入能力について分析している(ダウンロードは こちら)。




(参照)   欧州委員会の公式サイト(Enlargement Strategy and Progress Reports 2006


Die Vertretung der Europäischen Kommission in Deutschland (EU-Kommission veröffentlicht Erweiterungsstrategie und Fortschrittsberichte)

Der Standard v. 8. November 2006 (Fünf Wochen Schonfrist für Ankara)

Der Standard v. 8. November 2006 (Erdogan: Öffnung der Häfen "nicht realistisch")


トルコのEU加盟問題 


フィンランドの外交交渉決裂
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欧州委員会、交渉の一部延期を提案 New


(2006年11月9日 記)