1. はじめに
ECは加盟国の市場を統合し、商品、人(労働者)、サービスおよび資本が自由に流通しうる経済地域の設立を目標に掲げている(参照)。現在までに、数多くの市場が統合されているが(まだ達成されていない分野については こちら を参照されたい)、その中でも、特に農業部門では統合の度合いが強く、加盟国の市場は、ほぼ完全に統合されている(参照)。もっとも、農産物はその国のアイデンティティや伝統・宗教・文化と非常に深い関わり合いを有することがあるだけに、社会基盤の異なる国々の農業政策の統合は決して容易ではなかった。その最たる例として、バナナ市場を挙げることができる。加盟国の意見が大きく対立したため、バナナ市場の統一は、1993年7月になってようやく実現した。
1986年2月に制定された「単一欧州議定書」は、1992年末までに域内市場を完成させることを目標として定めていた
(EC条約第14条参照)。バナナ市場は、この期限内に統合されなかったが、期限が定められていなかったら、市場統合はさらに遅れていたものと解される。
なお、この期限の法的効力に関しては争いがある。欧州委員会が 人の移動の自由 を実現するための法令案を作成していないのはEC条約第14条に反するとして、1993年11月18日、欧州議会はEC裁判所に訴えを提起しているが、1995年7月12日に法案が作成されたので、訴えは取り下げられている(Case
C-445/93, European Parliament v. Commission,
OJ
1994, Nr. C 1, 12)。
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バナナ市場の統合が難航したのは、以下の事情に基づいている。
バナナは熱帯地域で広く栽培されているが、比較的高緯度にあるEU内でも、フランス(その海外領土を含む)、スペイン、ポルトガルおよびギリシャといった南国では、バナナが栽培されている。これらのEU加盟国は自国産バナナを優遇しているが、その他の大多数の加盟国(気候的にバナナの栽培に適しない北国)は同果実を生産せず、伝統的に中南米からバナナを輸入していた。その代表例はドイツである。中南米産バナナは、EC産よりも、味、形状、および価格面で秀でているとされていたため、大量のバナナが輸入された。なお、EC産バナナの生産量は少なかったため、ドイツを初めとする非産出国は、取り引きしようにも、しえなかったという状況にあった。
ところで、ECでは 商品の移動の自由 が保障されるため、ある加盟国が輸入した低廉で、品質の良い中南米産バナナは、他の加盟国(バナナ産出国)へも搬出される傾向が強かった。そのため、バナナを産出する加盟国は、EC産バナナの保護を強く要求した。これは、EC産品を第三国産品よりも優遇するとするEC法上の大原則(EC産の優遇)に適っており、EEC条約の制定作業時(1950年代)においても、中南米からの輸入制限が検討されたが、ドイツの強い抵抗にあい実現しなかったという経緯がある。EU内の最大の貿易国ドイツが輸入制限に反対したのは、第2次世界大戦後の経済成長のシンボルとして、黄色いトロピカル・フルーツは、北国ドイツの市民に愛好されていたためであるとされる。このような事情に基づき、バナナの輸入の自由を暫定的に保障する議定書(いわゆるバナナ議定書)がEEC条約に付されることになった(EC条約旧第136条[新第187条]参照)。なお、1990年の東西ドイツ統一後には、バナナは自由と富の象徴として、旧東ドイツ地区へ大量に出回ったとされる。
その他、EC市場におけるバナナの供給に関しては、以下の特殊事情を指摘しなければならない。加盟国は、かつて植民地であったアフリカ・カリブ海・太平洋諸国(それぞれの頭文字をとってACP諸国と呼ばれる)の発展を支援するため、ロメ協定 を締結しているが、この協定に基づき、EC加盟国は、特定の条件を満たすACP諸国産バナナの輸入奨励が義務づけられていた。もっとも、これに強い関心があったのは、かつてACP諸国を植民地としていた加盟国や、アフリカに近い加盟国であった。具体的には、前掲のバナナ産出4ヶ国とイギリスおよびイタリアである(なお、バナナ産出国[特にフランス]は、自国産を優遇するため、ACP諸国産品の輸入奨励に反対することもあった)。また、ACP諸国産バナナは、中南米産バナナよりもはるかに競争力に劣るとされるため、前述のロメ協定の義務を適切に履行するためには、中南米産バナナの輸入を制限する必要があったが、ドイツを初めとする北国は、これに強く反対した。
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