Brexit   イギリスのEU脱退問題

2016年2月の欧州理事会

リストマーク 決議の内容

 イギリスでは欧州統合懐疑論が根強く主張され、EU脱退(Brexit)を望む者も少なくない。キャメロン首相はそのような考えとは一線を画しているが、世論の高まりを受け、2015年5月の総選挙では、(再任されるならば)EU残留の是非を問う国民投票を2017年末までに行うことを公約に掲げた。選挙で勝利を収め、首相に再任された後は、国民がEU残留を決定するよう、EU内における自国の立場・利益向上に向けた活動を本格化させている。  

 イギリス政府は、2015年11月10日付けでEUに書簡を送っているが、その要求を受け入れるかどうか判断するのは加盟国首脳会議(欧州理事会)である。主として「イギリス問題」について討議するため、特別会議が2016年2月18・19日に開催され(参照)、全会一致で以下のように決まった。

  • EU法は、全ての加盟国に単一通貨ユーロの導入を義務づけているが、2ヶ国、つまり、イギリスとデンマークに対する例外は今後も存続する。つまり、イギリスはユーロの導入を強制されない(参照)。他方、新しい措置、つまり、ユーロ圏の統制強化や銀行同盟の設立に必要な決定の制定手続に非導入国は参加しうる。しかし、イギリスはこれらの新しい措置に拘束されない。また、国内の金融機関はEUの監督を受けない。
  • EU理事会は、通貨同盟の機能強化や銀行同盟の設立に参加する加盟国と非参加国間における相互の尊重と誠実な協力関係を築くために必要なEU法を制定する。
  • ユーロ危機に際し、非導入国は財政的な責任を負わない(参照)。
  • イギリスは国境検査を実施する権利を持つ。
  • イギリスは刑事に関する警察・司法協力の分野において、リスボン条約が発効する前に採択されたEUの措置の大半を2014年12月1日以降、もはや適用しない権利を持つと同時に、35の措置には引き続き参加することを決定する権利を持つ 。
  • EU基本権憲章は、同憲章とイギリスの法・司法実務の整合性を審査する権限をEU裁判所やイギリスの裁判所に与えない。
  • 生産・投資地としてのEUのグローバルな活動を強化するため、あらゆる面における域内市場の可能性を強化し、また、特に通商条約の交渉・締結を通じて貿易や市場アクセスを促進する 。
  • 現行諸条約が定める特別な地位に鑑み、イギリスはさらなる欧州統合への参加を義務づけられない。次の条約改正時には、この点について定める規定を設け、“an ever closer union among the peoples of Europe/une union sans cesse plus étroite entre les peuples de l'Europe/eine immer engere Union der Völker Europas”という文言はイギリスには適用されないことを明確にする 。この“ever closer union/immer engere Union”という文言、つまり、現存する連合は欧州統合の完成形ではなく、それはさらに進化・深化することを意味する表現は、現行諸条約の前文や本文の中で用いられているが、EU法(第1次法と第2次法)の適用範囲を拡大する法的根拠にはならない。また、EUや諸機関の権限を拡大するものでもない 。
  • EU内では人の移動の自由が保障されており、ある加盟国の国民は他の加盟国へ移動し、働くことができる。しかし、賃金水準が異なることを理由に、この移動には不均衡が存在する。そのため、加盟国が大量の人の流入を制限することは正当化される。ただし、それによって他の加盟国の国民が不当に差別されてはならない 。
  • この点に関し、現行EU法は以下のように解釈される。
  • 上述した措置の実施に際し、加盟国には自国の社会保障制度の基本原則を決定する権利が与えられていること、また、社会・雇用政策の策定・実施や社会保障の給付条件の決定に際し、加盟国には広範な裁量権が与えられていることが考慮されなければならない。
  • EUの機能に関する条約第45条は労働者の移動の自由を保障する一方で、その制限を正当化する事由も挙げている。この規定に鑑み、加盟国は他の加盟国出身の労働者に対する社会保障を制限することができる 。
  • EUの機能に関する条約第21条やEU市民の移動の自由を保障する一方で、その制限も認めている。EU法上、非労働者については、同人が十分な生活資金を持ち、また、包括的な健康保険に加盟している場合にのみ、他の加盟国内に滞在する権利が保障される。加盟国は、社会保障の恩恵にあずかることを目的とし、他の加盟国に移動する者への社会保障を拒むことができる 。さらに、加盟国は、自国内に滞在する権利がない他の加盟国の国民やもっぱら職を探すために滞在する同国民への社会保障を拒むことができる。
  • 移動の自由を行使する者は、接受国(滞在国)の法令を遵守しなければならない。EU法上、加盟国は移住者による権利の濫用や法令違反に対し適切な措置を講じることができる。また、国内の安全・治安の維持に必要な措置を発することができる 。
  • 欧州理事会の決議が発効した後、欧州委員会は次のEU第2次法の改正案を提出する。
  • 1.EC規則第883/2004号(OJ 2004 L 166, p. 1)
  •  労働者とその子が別の加盟国に居住するケースにおいて、労働者が居住する加盟国は、子が居住する加盟国の水準に照らし、社会保障給付額を決定することができるように規則を改正する。なお、これは労働者が接受国(仕事のために滞在する加盟国)で新たに申請した給付に適用される。ただし、2020年元旦以降、すべての加盟国はすでになされている申請にも適用することができる。
  •  欧州委員会は、この措置をその他の社会保障(例えば年金)に拡張することについてまで提案する必要はない。
  • 2.EU規則492/2011号(OJ 2011 L 141, p. 1)
  •  この規則は、例えば、EU拡大に基づき、他の加盟国から異常に多くの労働者が比較的長期にわたり流入するとき、加盟国(接受国)は保護措置を講じることができる旨を定めている。これを社会保障制度(在職給付・給与補填制度を含む)が害されたり、労働市場に著しい悪影響が継続的に生じる場合に拡張すべく、規則を改正する。つまり、就労開始から4年間、公的資金で賄われる在職給付・給与補填を少なくすることができるように改める 。なお、このいわゆる「緊急ブレーキ」は最長で13年間、適用することできるようにすることをキャメロン首相は求めていたが 、欧州理事会では支持されず、折衷案をとって、7年間と決定された。この措置を発動する権限は、欧州委員会の提案に従い、EU理事会によって与えられるものとされている。
 

リストマーク 評価
 欧州理事会の決議は、一部の加盟国間でのみ政策(ユーロの導入、銀行同盟の設立、防衛政策、人の移動の自由シェンゲン協定制度)を実施することや、逆に加盟国はそれへの参加を義務づけられないという現行EU諸条約の規定ないし実務を確認するものである。それゆえ、現行諸条約の改正が必要になるとは解しがたい。確かに、イギリスは特定の政策への参加を強制されないことが随所で強調されているが、これはイギリス国民に対するアピールに過ぎない。

 なお、政策に参加しない国の権利や利益が損なわれてはならないこと、また、イギリスはEUの新しい措置に拘束されないが、その策定には参加する権利を持つことが決議の中で確認されている 。これらの点は従来の基本諸条約にはない、新しい要素であるといえる。

 EU条約前文やEU条約第1条第2項等では、”ever closer/immer enger” という文言が用いられている。これには、欧州統合をさらに進化・深化させ、加盟国間の結束力を高めるという加盟国の意志が表れているが、同文言はイギリスには適用されないことも決定された。これは欧州統合に水を指すものであり、統合推進派のドイツのメルケル首相は「エモーショナルな問題」だと述べている。なお、元々、この文言に法的拘束力はない。まさにエモーショナルな次元の問題であると言える。また、イギリスの脱退も「エモーショナルな問題」だと解される。

  総じて、イギリスの消極的な立場が改めて浮き彫りになった。イギリスは加盟国の盟主になり、欧州統合を牽引するつもりはないことの表明でもある(参照)。

 その他、欧州理事会は、2つのEU第2次法の改正案の作成を欧州委員会に要請している。これをもって、全加盟国は決議に沿った形で第2次法を改正することに賛成していると捉えてよいかは定かではない。特に、生活費の安い東欧諸国は、子供手当ての削減について反対している。逆に、高福祉国(特に、北欧諸国)からは支持されている。例えば、ドイツのメルケル首相は、子供手当ての削減は十分にありうると述べている。なお、仮に国民投票の結果を受け、イギリスが脱退する場合においても、規則は理事会決議に沿って改正されなければならないかは明らかではない。その他の事項も含め、理事会決議は無効になるとする見解は、すでに加盟国政府の中から出されている 。

 なお、決議に沿った形での法改正、特に、他のEU加盟国からの労働者に対する社会保障の削減は上位のEU法(EU裁判所の判例法を含む)に反しないか検討する必要がある。イギリスがそれを望むのは、2004年5月のEU拡大時、新加盟国である東欧からの労働者の流入を制限しなかったことにもよる。ドイツやオーストリアのように、EU法が認める移入制限を完全に実施することも有益であったと解される。

 2日にわたる加盟国首脳会議で、イギリスの要求が完全に通ったわけではない。しかし、加盟国の盟主であったわけでもなく、これからもそうなるつもりはない一国のために、27ヶ国は長い時間を割き、忍耐強く応じ、その要求はほぼ完全に受け入れた。イギリスの脱退そのものではなく、この「特別待遇」が先例となるときにこそ、EUは(再び)危機に直面する (従来の危機について)。

 2015年8月以降に見られる大量の移民流入によって、EUはかつてない深刻な危機に直面している。このような状況下で会議は開かれた。移民政策交渉を有利に進めるため、「イギリス問題」を利用する(「移民問題」で自国の主張が通らないのであれば、「イギリス問題」に譲歩しない)加盟国もあったが、移民政策をめぐり加盟国間に大きな亀裂が生じている中、別の困難な問題を全会一致で解決するだけの結束力が存在することをEUは示した 。次は、イギリス国民の番である。しかし、近時の世論調査が示す通り、同国民はEU残留を決定したとしても、より多くを期待することはできないであろう。会議終了後、トゥスク議長(ポーランド)は、チャーチル元イギリス首相の演説を引用しながら、欧州統合の必要性を強調している(参照)。第2次世界大戦が終了した翌年、スイス・チューリッヒで行われたこの演説は、確かにEU統合の起源の一つとして考えられているが 、当時よりイギリスは統合に消極的である(詳しくは こちら)。トゥスク議長による引用が皮肉な結果に終わらないことが望まれる。


リストマーク イギリスにとって極めて重要な判断
 欧州理事会で勝利した、つまり、自国に特別な権利が与えられたと考えるキャメロン首相は、翌20日土曜日、閣議を開き、国民投票を2016年6月23日に実施することを決定した。また、直ちにそれを国民に向けて発表するとともに、約4ヶ月後に実施される国民投票は、我々が生きている時代に下されるイギリスにとって最も重要な判断になると述べた。

参照
 

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