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Prodi 欧州委員会の功績


 2004年11月1日、Barroso 氏の率いる新欧州委員会発足する予定であるが参照、これに先立ち、Prodi 現委員長は、欧州議会で最後の演説を行い、5年にわたる任期を総括した。

 一連の職務不正の責任を問われ辞任した Santer 委員会参照の後を受け、1999年11月に発足した Prodi 欧州委員会の門出は、決して容易ではなかったとされるが、@ 委員会の機構改革を実現した他、A いわゆる、アムステルダム条約 の left-over に取り掛かり、ニース条約 の制定(2000年12月) や、B 欧州憲法(条約)の採択 (2004年6月)に尽力した。また、任期中には、C ユーロの流通が始まるだけではなく(2002年1月)、D EU史上最大規模の拡大が実現した。この 東方拡大 が活動の原動力になったとされるが、これを組織するだけではなく、新規加盟国に信頼感を与える上でも、委員会は大きく貢献した。また、旧共産諸国を迎えた後には、E 欧州近隣政策 の大綱を取りまとめ、新しいヨーロッパ政策の基礎を築いた他(2004年5月)、F トルコとのEU加盟交渉の開始を提唱するなど(2004年10月)、さらなる拡大の構図を描いた。

 他方、イラク戦争や、安定・成長協定の遵守 については、加盟国の足並みが乱れたが、欧州委員会はその調整役を務めることができたと Prodi 委員長は述べている。

 数多くの偉業を成し遂げた Prodi 欧州委員会は、新しいヨーロッパの歴史を切り開いた委員会として長く評価されることになろう。



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 Die Press (オーストリアの日刊紙)は、@ ユーロの導入や 東方拡大 は、すでに前任者の任期中に決定されていたこと、A 欧州憲法(条約) の制定に際しては、イニシアチブをほとんど発揮しなかったこと、また、B 独仏の 安定・成長協定違反 を容認したことを挙げ、欧州委員会の影響力ないし存在感は低下したと批評している。また、Prodi 委員長には失言も少なくなく、安定・成長協定 は「ばかばかしい」という趣旨の発言はその最たるものであったと論評している。


(参照) Die Presse v. 25. Oktober 2004 ("Die EU-Kommission: Viel erreicht, noch mehr verloren")




(参照)
EU-Nachrichten, Nr. 36, 2004, S. 1 (Viele Brücke bauen)

欧州委員会の公式サイト


Prodi 欧州委員長(前列中央)と19名の欧州委員

写真提供

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(2004年10月25日 記 10月27日 更新)