1. 新 EU 市民の移動にまつわる懸念
EU(EC)法上、人、商品、サービスおよび資本の移動の自由は、基本的自由として保障されているが(人の移動の自由に関して)、EU拡大に関し、最も注目されているのは、人(労働者)の移動の自由である。新加盟国は原加盟国より経済力に劣る。そのため、
多くの新 EU 市民が豊かな現加盟国に渡り、現地の人々の職を奪うのではないか、また、現加盟国に移り住んだ(貧しい)人々は、当地の社会政策を破綻させてしまうのではないか、さらに、労働コストの低い新加盟国企業に対抗するため、現
EU 企業は、人員削減や社会保障の切り下げを行わざるをえないのではないかと懸念されている。他方、新加盟国からは、優秀な若年労働者が流出するのでないか危惧されている(いわゆる
youth and brain drain 現象)。
2. 対策
これらの点を踏まえ、現加盟国は、新加盟国からの人(労働者)の移入を最長で7年間、制限しうる旨が加盟協定の中で定められた(なお、拡大より2年後と5年後に、この暫定措置の見直しが行われる〔参照〕)。 ただし、マルタとキプロスからの移入は制限されない。新加盟国も同様に、現加盟国からの労働者の移入を制限することができる。
多くの現加盟国は、この規定に基づき、新 EU 市民の移入を制限する方針を打ち出しているが、規定をフルに活用するのは、ドイツとオーストリアのみとされている。両国は、多くの新規加盟国と国境を接
しており、EU 拡大の影響を強く受けるものと解されている(参照)。特に、建築業界の影響は大で、両国は、この分野において労働者の移入を制限するとしてる(ドイツは、建築清掃、内装のサービス分野において労働者の移入を規制している)。
なお、人(労働者)の移動の制限は一律的に行う必要はなく、新規加盟国ごとに特別のルールを設けることができる(例えば、ポーランドからの移民は年間X人、ハンガリーからの移民はY人とすることもできる)。
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現在、イギリスの失業率は 4.9%と、過去30年間で最も低い水準にある。また、約55万のポストは空いたままで、優れた職工人、建築作業員や情報処理技術者の採用は容易ではないとされる。そのため、新
EU 市民の移住を歓迎する向きがある。その一方で、東欧諸国民(特に、ジプシー)が、英国の社会福祉制度をむさぼるのではないかとの懸念も存在する。
参考 NZZ (独語)
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他方、イギリス、アイルランド およびスウェーデンは、当初より、新 EU 市民に門戸を開く予定である。もっとも、社会制度の適用には制限を設けるとしている。
新加盟国は、ECの社会政策の導入が義務付けられ、労働時間の制限、職場の安全性、男女平等、また、差別の撲滅に取り組まなければならないが(ECの社会政策に関して)、賃金水準、社会福祉、また、直接税など、いわゆるソーシャル・ダンピングに直結する事項について、
EC は権限(政策決定権)を有していない。そのため、現在、これらの点については、各国が独自の政策を遂行しているが、これは、新規加盟国にも当てはまる。
3. 欧州委員会と欧州生活・労働条件改善財団の報告書
新 EU 市民の移動の自由に関し、種々の点が危惧されていることは前述した通りであるが、欧州委員会と欧州生活・労働条件改善財団 (European Foundation for the Improvement in Living and Working Conditions)
が2004年2月に(仮)発表した報告書(Migration trends in an enlarged Europe)
によれば、新 EU 市民の流入により、現加盟国の労働市場が悪化するのではないかという懸念は、根拠に欠ける。これは、従来のEU拡大の状況を踏まえた見解であるが、それに照らすと、新加盟国労働人口のわずか1%が、現EU加盟15カ国に移住するものと解されている。年間では、全4億5千万の
EU 市民のうち、わずか、22万人の労働者が現加盟国に移り住むとされる。
1986年1月にスペインとポルトガルが EU に加盟した際にも(参照)、両国より多くの労働者が移住してくるものと想定され、7年間の暫定期間が設けられたが、両国経済は迅速に発展し、職を求めて移動する人の数は停滞した(1970年、約20万人のスペイン人労働者が
EU 加盟国に移住したが、90年代初頭には、年間、2〜3千人規模に減少した)。そのため、暫定期間は短縮された。
文化的ないし生活生活環境の違い、政治的ないし経済的安定性、また、様々な個人的事情を理由とし、現在、他の
EU 加盟国に移住し、労働している EU 市民は、わずか2%に過ぎない。そのため、人の移動の自由化によって、国内労働市場が閉塞するといった意見は説得力に欠ける。その一方で、EU
経済ないし労働市場の活性化という、本来の目的も達成されているとは言えない。
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他方、優秀な労働力の流出を防止するため、新加盟国は、適切な地域・構造政策を実施して、国内経済を活性化し、また、国内市場に対する高学歴若年者の関心を高める必要があると指摘されている。
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