Top      News   Profile    Topics    EU Law  Impressum          ゼミのページ


  EU & Western Balkan Countries


リストマーク コソボの独立に至る経緯 リストマーク


 冷戦崩壊後、ユーゴスラビアは多くの国家に分裂した。セルビア南部に位置するコソボは、新ユーゴ(セルビア共和国とモンテネグロ共和国からなる国家連合)の自治州となったが、かねてより独立の気運が強く、ゲリラ活動が行われるようになると、1998年2月頃より、セルビア共和国は大規模な掃討作戦を実施した。これによって民族間の対立は激化し、第4次ユーゴスラビア継承戦争に発展するが、NATOの軍事介入を受け、1999年6月9日、停戦した。その後、コソボは、国連安保理決議1244に基づき国連の統治下に置かれることになる。また、2002年3月には暫定自治政府が発足した。なお、国連はコソボ暫定統治ミッション(UNMIK)を派遣するとともに、コソボ平和維持部隊(KFOR)を駐留させている。

 暫定的とされたコソボの地位問題を解決するため、国連は Martti Ahtisaari 前フィンランド首相を特使に任命しているが、約1年にわたる交渉は決裂した。その後、米国、ロシア、EUからなる「トロイカ」が問題の解決に乗り出したが、セルビアとコソボの双方が納得しうる解決案はまとまらなかった。

 外交交渉が座礁に乗り上げる中、2008年2月17日(日曜日)、コソボは、セルビアの強い反対にもかかわらず、一方的に独立を宣言した。その背後には、米国や多くのEU加盟国による独立支援があった(EUの支援については こちら)。実際に、米国や大多数のEU加盟国は、速やかに新国家を承認している。これに対し、セルビアやロシアは、コソボの一方的な独立は国際法違反にあたるとして容認していない。



(2007年2月18日 記)


「EUと西バルカン半島諸国」のトップページに戻る