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ドイツ世話法の重要原則:本人の意思の尊重

はじめに

人

 社会の高齢化に伴い法整備の必要性が生じているが、民事法の分野においては、特に、成年後見制度の発展・拡充が求められている。この要請に応え、また、従来の制度を改善するために民法が改正され、20004月より成年後見制度が施行されている。新制度はドイツの世話法(Betreuungsrecht[1]やその他の国の法令を模範にしているが、ドイツ法は我が国のように成年後見制度を3類型(成年後見、保佐、補助)に分類しているわけではない。つまり、「世話」制度のみを設け、世話の必要性、世話人の職務や世話の範囲は個別に決定するものとしている(ドイツ民法第1896条および第1901条参照[2])。また、我が国とは異なり、本人の行為能力(第105条)が当然ないし自動的に制限されるわけではない[3]。さらに、ドイツ民法内の多くの規定では、本人の意思を尊重する必要性が謳われており、裁判所や世話人の判断・行為に制約を設けている。ドイツ世話法の理念は本人の自己実現を支援することにあり[4]、まさに本人の意思の尊重は重要原則にあたる。もっとも、このことより、本人が弁識能力や分別に欠いている場合であれ、その要望に応じなければならないか、また、本人の(自由)意思が不明な場合はどのように処理すればよいかといった問題が生じる。さらに、本人の福祉にかなう措置であれば、その意思に反する場合であれ、強制的に実施しうるかといった問題も存在する。これらの点について、ドイツ法は必ずしも明瞭に規定しているわけではなく、裁判所に判断が求められているが、以下では指摘した自己決定の尊重に関する諸問題について考察する。

 

1. 本人の意思の尊重
1.1. ドイツ世話法における本人の意思

ドイツの世話制度は、本人がその利用(世話人の選任)を裁判所に申請する場合に開始される(第1896条第1項第1[5])。つまり、世話の必要性に関する判断は本人に委ねられている[6]。特に、精神上の疾病や知的障害ではなく、身体障害を理由に、本人が自らの事務を(完全に)行うことができず、第三者による世話が必要とされるときは、本人によって申立てがなされなければならない(第1896条第1項第3文)[7]

また、世話人となる者を選ぶ際にも本人の意思が最も優先される(第1897条第4項および第1901a 条参照)。それゆえ、本人がある特定の者を世話人に希望しているときは、単に、より適切な者がいるという理由で、本人の希望を退けてはならない[8]

さらに、選任された世話人の解任や世話の終了に際しても、本人の意思が優先されなければならない(第1908b条第3項参照)。そのため、同人が従来の世話人に満足しているときは、他の者がよりよく世話を行いうるという理由に基づき、解任してはならない[9]

 世話人も、任務の遂行にあたり、本人の「要望や考え」(Wünsche und Vorstellungen)[10]に応じなければならない(第1901条第3項第1文)。それゆえ、確かに、世話人には法律上の代理権が与えられているが(第1902条)、常にこの権利が優先するとは限らない。とりわけ、本人の基本権に関わる案件について世話人の権限は制限され、本人の意思に反し、ある行為を強制するためには、法律上の根拠が必要になる(ドイツ基本法第2条第2項および第104条第1項)。この点に関しては、特に、第1096条第1項第2号に基づき、世話人は本人を強制的に入院させ、その自由を束縛することが許されるかどうかについて従来より争われているが、詳しくは後述するように、連邦通常裁判所(BGH)は、本人が弁識能力を有さない場合に限り、その意思に反し、自由の剥奪を伴う入院(および医療行為)を強制しうると判断している[11]。なお、世話人による強制入院は、原則として、裁判所の許可を必要とする(第1906条第4項)。

このように、ドイツの世話制度は本人の意思の尊重を重要な原則としているが、制度利用の有無にかかわらず、本人には基本権(特に、ドイツ基本法第2条が定める人格権や生命・身体を害されない権利)が保障されることを考慮すれば、これは当然の理と言える[12]。また、世話人が選任されたからといって、本人の行為能力が制限されるわけではないが、行為能力が制限される場合であれ、その意思を尊重しなければならないことに変わりはない。なお、行為能力者に対し世話制度を適用するのは、同人の人格権や自律性を害するとして批判されることもあるが[13]、前述したように、同制度の利用は本人の申し立てに基づく。また、確かに、裁判所が職権で世話人を選任することもできるが、詳しくは後述するように、本人の意思に反し、世話人を選任することは許されない(第1896条第1a項)。


ところで、第1896条第1a項と第1905条第1項第1号は、本人の意思の尊重をより徹底させ、本人の(自由な[14])意思に反してはならないことを明瞭に定める。特に、第1986条第1a項は、20057月に新たに導入された規定であり、成年者の自由な意思に反し、世話人を選任してはならないことを明確にしている。それゆえ、世話人をつけることが客観的に有益であると考えられる場合であっても、本人の自由意思に反し、選任することは許されないと解されている[15]。なお、世話人は、@本人の申し立て、またはA裁判所の職権に基づいてのみ選任されるため(第1896条第1項第1文)、新しい規定は裁判所に対し向けられることになる。従来より、世話人が強制的に選任されるのは、裁判所が後見的に判断を下すAのケースに限定されていたとはいえ、本人の自律性への干渉を認める構造的欠陥は批判されており[16]、新規定はこれを改善するものである。なお、その文言上、裁判所は、本人の決定がその自由意思に基づくことを職権で確認しなければならないと解されるが(FGG12条参照)、立法理由書では、その自由意思によらないことが鑑定人によって証明されなければならないとされている[17]。自由意思の存否が不明な場合の取り扱いについても明瞭に定められていないが、同項の文言上、裁判所は、そのような場合、(本人の意思に反し)世話人を選任しなければならないことが指摘されている[18]。もっとも、これによるならば、自由意思の存否が不明な場合に世話人が選任されることを裁判官避けるため、自らの意思決定が自由な意思に基づいていることを本人が証明しなければならないことになろう。自由意思の存在が確認されない場合における強制的な世話は同人の人格権や生命・身体を害されない権利(ドイツ基本法第2条)や尊厳(第1条第1項)の尊重に反するため問題である[19]

また、第1905条第1項第1号は、不妊手術の実施に本人が同意しえないとき、世話人が同意することができるが、本人の意思に反してはならないと定める[20]

 

1.2.本人の意思に反した強制的な入院

ところで、第1906条第1項第2号は、本人が自由の束縛を伴う[21]医療施設への入院・収容の必要性を認識しえないか、分別のある行動をとりえない場合(nach Einsicht handeln [22]、世話人は入院・収容を強制しうる旨を定める[23]。この規定に鑑み、連邦通常裁判所(BGH)は、本人が弁識能力を有する場合は、その意思に反し、入院を強制することは許されないと判断している[24]。従って、本人が弁識能力を有さないのであれば、その意思に反し、世話人は入院を強制しうることになる[25]。ただし、比例性の原則[26]に違反してはならず、本人の福祉にかなう場合にのみ認められる。つまり、公の利益や特定の第三者の利益のために行うことは許されない。なお、犯罪を未然に防ぐ目的で入院させることが認められるかどうかについては争いがある[27]

また、文献上は、「病気になる自由」を尊重する必要性から、本人が反対している場合には、アルコール中毒を理由に強制的に入院させることは許されないと解されている。浪費や住居の損壊を防ぐ目的で入院させることも同様に認められない[28]

なお、連邦通常裁判所は、本人が甘受しなければならない医療行為をできる限り詳細に示す必要があると述べている[29]。入院措置は、原則として、裁判所の許可を必要とするが(第1906条第2項)、強制措置や医療行為の必要性は医者(鑑定人)によって明らかにされなければならない。また、世話人は本人の福祉に合致するように判断し、他方、裁判所は世話人が求める強制入院を承認しうるか、その法的要件の充足性を審査しなければならない[30]

他方、入院を伴わない強制的な医療行為(外来診療)について、ドイツ民法は定めておらず、世話人にそれを決定する権限を与えていないため、本人が同意能力(受診に同意する能力)ないし弁識能力を有するかいなかを問わず、強制しえないとされている(ドイツ基本法第2条第2項〔生命・身体を害さえない権利〕参照)[31]。なお、入院を伴うか否かで扱いが異なるのは、入院はいわば最後の手段であり、病状が重い場合にとられる措置であるため、本人の意思に反してでも入院させることが本人の福祉にかなうからである[32]。もっとも、このことより、本人の健康への影響が重大であり、生命に対する危険性が存在する場合には、入院を伴わない医療行為であれ、強制できると考えるべきであろう[33]

なお、前述したとおり、第1906条第1項に基づき、世話人は強制的に入院させることができるが(ただし、本人が弁識能力を欠く場合に限る)、その場合であれ、医療行為を強制的に受けさせることはできないかという点も争われているが、できないとすれば入院させる意味がないとし、連邦通常裁判所(BGH)はこれを否定している[34]。確かに、世話人による強制は特別の法的根拠を必要とすることや、本人の基本権を尊重することの重要性を考慮すれば、世話人は受診を強制しえないと解されるが、前述した入院措医者置の重要性やこれが本人の福祉にかなうことを考慮するならば、連邦通常裁判所の判断に従うべきであろう。なお、医療関係者からは、入院後、病院(世話人も含む)は本人との信頼関係の確立・強化に努め、診療行為を自ら進んで受けるよう説得することの重要性が指摘されている[35]

 

1.3.本人の意思の尊重と弁識能力の有無

 ところで、本人の意思は、同人が適切な弁識能力を持っている場合にのみ尊重されるべきであろうか。この点に関し、ドイツ民法第1906条第1項第2号は、世話人が医療施設に強制的に入院させ、本人の自由を束縛するための要件として、本人が入院の必要性を認識しえないか、分別のある行動をとれないことを挙げているが、その反対解釈として、本人が弁識能力ないし分別を有する場合は、その意思に反して入院を強制することは許されないと捉えられている[36]。これに対し、その他の案件、特に、本人の意思が最も重視される世話人の選任に関し(前述したように、裁判所は、本人の意思に反し、世話人を選任してはならない)、弁識能力の有無は問われていない。前掲の規定が掲げる弁識能力の有無は現代的なメルクマールであり、世話人の選任に際しても重視されるべきであることを指摘する学説もあるが[37]、この要件は医療施設への入院に関してのみ導入されていることに鑑み、多数説や多くの裁判例は、弁識能力を自己決定尊重の要件とはしていない[38]。ただし、本人が自由に意思を決定しえないときは、その意思に反し、世話人を選任してもよいとされる[39]。実際に、第1896条第1a項は、本人の自由意思を要件としているが、同要件は弁識能力の有無に密接に関わるため(後述参照)、併せて検討することもできよう。
 前述した実務や多数説は法律の文言・構造を重視するものであるが、自己実現の支援という世話制度の趣旨を徹底する点で支持しうる。

 

1.4.本人の自由意思

 本人の意思いついて、ドイツ民法の定め方は必ずしも同一ではない。つまり、第1905条第1項第1号は、本人の意思に反しない場合に限り、世話人は不妊手術に同意することができると定める一方で、第1896条第1a項は、世話人の選任に関し、本人の自由な意思を要件としている(つまり、本人の自由な意思に反し、世話制度を開始することは許されない)。そもそも、精神病や知的障害を患う者にとって、自由な意思決定は可能かという根本的な問題も存在するが、第1896条第1a項に基づき、裁判所には慎重かつ決して容易ではない判断(自由意思の有無)が求められる[40]。なお、この能力の有無は異なる複数の見解を考慮しうるかだけではなく、第三者の影響を不当に強く受けていないかという観点から判断される。また、事理弁識能力の有無にも密接に関わる[41]。それゆえ、本人が財物の金銭的価値を適切に理解しえず、判断を下しえないときは、自由な意思決定が可能ではないとする裁判例がある[42]。また、占いに依存する者は、自由に意思決定できないと捉えてよかろう[43]

 

2. 本人の福祉と意思

 前述したように、世話制度上の様々な局面で、本人の意思が尊重されなければならないが、それに従うことが本人の福祉に反する場合には、従わなくてもよいことが幾つかの規定で明定されている[44]

 例えば、第1901条第2項は、世話人は本人の福祉に合致するように世話をしなければならないと定める一方で、第3項は、本人の要望や考えに応じることが同人の福祉に反するときは、応じなくともよいとする。なお、世話人が法的に義務付けられた世話を実施しなければならないのは当然である。

 

また、前述したとおり、世話人の選任に際しては本人の希望が優先されるが、それに従えば、本人の福祉に反する恐れが大きいときは、その要望に応じなくともよい(第1897条第4項第1文)。なお、この判断に際し、裁判所は、あらゆる状況を検討しなければならず、本人の福祉に反することが明白な場合に限り、その他の者を選任することができる[45]。本人自身が特定の人物を指名しないとき、裁判所は本人の福祉にかなう人物を選任しなければならない[46]。また、世話人の能力も考慮する必要がある。

前述したとおり、世話人の解任についても、本人の意思が重視されるが(第1908b条第3項[47])、バイエルン州高等裁判所は、世話人による定期的かつ綿密な世話は本人に良い作用を及ぼすとし、本人の解任請求を退けている[48]。このケースにおいて、本人は医療施設からの退院といった自らの要望を実現するために世話人の解任を求めたが、高等裁判所は、両者間の単なる軋轢や、本人の突発的な感情(気まぐれ)を理由に世話人の解任は認められないとしている。

 なお、本人の福祉について、第1901条第2項は、本人が自らの要望や考えに沿った生活ができることを例示している。つまり、その意思の実現を支援することが本人の福祉にかなった世話といえる[49]。この規定にも表れているように、ドイツ民法は、本人の福祉には同人の主観を基礎とするものと客観的要素が重視されるものがあることを前提にしており、本人の要望や考えに従うこと(つまり、主観的な福祉の実現)が同人の客観的な福祉に反する場合は、世話人はその要望や考えに応じなくともよいとする趣旨と解されている[50]。客観的な福祉としては、例えば、本人の生命や社会的な生活の維持が挙げられる。それゆえ、本人が高齢者・介護施設における居住を拒否し、戸外での生活を希望しているような場合、世話人は、その要望に反し、施設内の住居を維持する措置を講じることができると解される[51]。なお、主観的な福祉と客観的な福祉を調整することができない場合は、前者が優先する[52]。これは、行政的な世話を避け、個人の実情に合った世話を保障するためであり、また、本人の意思を尊重するためである。

               

終わりに

前述したように、ドイツの世話制度は、本人の意思と福祉の尊重を柱としているが、本人の利益を重視する制度であることから、我が国とは比較にならないほど利用者数が多い[53]。また、本人の生命(客観的福祉)に危険性が生じない限り、その意思や要望(主観的な福祉)が優先されるため、単に、自らの身体に危害を加える恐れがあるというだけでは、強制的に入院させることも認められない。確かに、「病気になる自由」も保障されるという基本権理論に照らせば、このような結論も不当ではない。また、私法制度(世話制度)がこの憲法上の要請に合致しなければならないのは言うまでもないが[54]、世話制度のあり方として十分かどうか検討を要しよう。なお、ドイツの世話制度は、高度に発展した基本権理論に立脚するものであり、法的には均整が取れている。

1992年の制度導入以降、ドイツでは利用者数が飛躍的に増加していることは前述したが、これは国や地方の財政負担を増しているため、対処が必要とされている[55]。また、そもそも世話制度の必要性は高齢者の増加によって裏付けられるが、2030年にはドイツ国内の3人に1人が60歳を超えると予測されており[56]、社会のさらなる高齢化は制度の見直しを余儀なくしている。もっとも、憲法上の要請に鑑み、本人意思の尊重という基本理念は維持されるべきである。




 

[1]      ドイツの世話法に関する邦文文献として、特に、ベーム、レルヒ、レェースルマイヤー、ヴァイス『ドイツ成年後見ハンドブック』勁草書房(2006年)、新井誠「統計からみたドイツ成年者世話法の運用状況」『ジュリスト』1038100103頁、大貫正男「ドイツ・スウェーデン成年後見制度視察に参加して」『月報司法書士』2005年第18783頁を参照されたい。

[2]      世話人の職務の範囲について、Holzhauer, in: Erman, BGB, 11. Auflage, 2004, § 1896, Rdnrn. 51-69a.

[3]      人身および本人の財産に対する重大な危険性を回避するため、本人の意思表示の有効性は世話人の同意にかからしめることもできるが(ドイツ民法第1903条第1項)、これは本人の行為能力とは無関係である。仮に本人が行為能力に欠けるとすれば、その意思表示は無効であり(第105条第1項)、世話人の同意があっても有効になるわけではない。Vgl. Holzhauer, a. a. O., § 1903, Rdnr. 12.

なお、ドイツの現行制度(世話制度)は1992年元旦より適用されているが、旧制度(後見制度)の下では、本人の行為能力は否認ないし制限されていた。

[4]      Vgl. Dodegge, Selbstbestimmung trotz Einwilligungsvorbehalt, FuR 8/2008, 381-385.

[5]      申請にあたり、本人の行為能力の有無は問われない(第1896条第1項第2文)。なお、世話人は、本人より申請がある場合だけではなく、裁判所が職権で選任することもできる(第1896条第1項第1文)。立法過程では、第三者による申請も検討されたが、採用されていない。Vgl. Holzhauer, a. a. O., § 1986, Rdnr. 80.

[6]      これは、精神病や知的障害により世話制度が開始されるのではなく、身体的な病気・障害を理由に、本人が法律行為を完全になしえない場合を想定している。Holzhauer, a.a.O., § 1896, Rdnr. 35 und § 1901, Rdnr. 10.

[7]      ただし、本人が意思を表示しえない場合は、この限りではない(第1896条第1項第3文参照)。

[8]      OLG Köln, OLGR Köln 1999, 373 (LS) = FamRZ 2000, 513 (LS).

[9]      OLG Köln, FamRZ 1998, 1258 (LS).

[10]     1901条第3項第1文のように、本人の「意思」(Wille)ではなく、「要望および考え」(Wünsche und Vorstellungen)と規定されている場合もあるが、これは法的な意思表示が問題になるか、そうでないかにかかっていると解される。

[11]      Beschluß des BGH v. 1. 2. 2006, NJW 2006, 1277 = BtPrax 2006, 145.

[12]     自己決定を尊重する背景には、ヒトラー政権下において強制的に後見制度が運用されていたことへの批判がある。Vgl. Linnhoff und von Looz, in: Diekmann/Meier (Hrsg.), Qualität im Betreuungswesen, 2007, Zwang in der Betreeung, S. 119-123, 119.

[13]     Vgl. Holzhauer, a. a. O., Vor §1896, Rdnr. 9.

[14]     この点について、後述1.4 も参照されたい。

[15]     Vgl. Diederichsen, in: Palandt (Hrsg.), Bürgerliches Gesetzbuch, 68. Auflage, 2009, § 1986, Rdnr. 4.

[16]     Vgl. Holzhauer, a. a. O., § 1986, Rdnr. 28.

[17]     Bundestagsdrucksache 15/2494, S. 28. Siehe auch OLG München, FamRZ 2006, 440.

[18]     Bienwald, in: Bienwald/Sonnenfeld/Hoffmann, Betreuungsrecht, 4. Aulage, 2005, § 1896, Rdnrn. 46 ff.

[19]    Seitz, Erforderlichkeit der Betreuung und freier Wille der Betroffenen, in: Diekmann/Meier (Hrsg.), Qualität im Betreuungswesen, 2007, Zwang in der Betreuung, S. 117-118, 117; Diederichsen, a. a. O., § 1896, Rdnr. 4 も、本人の自由意思が不明な場合は、世話人を選任すべきではないとする。

[20]     Bt-Drucks 11/4528, S. 71.

[21]     1906条は、本人から外出の自由を奪う形でなされる入院・収容について定めており、通常の病院や老人ホームへの入院・収容には適用されない。また、そもそも本人が身体上の理由により、自由に移動しえない場合にも適用されない。Roth, in: Erman, BGB, 11. Auflage, 2004, § 1906, Rdnrn. 6 und 10.

[22]     本文中で述べたように、法文上は、入院・収容の必要性が審査の対象になっているのに対し、実務では、本人が医療行為の必要性を認識しえないか、分別のある行動をとれないことが問題になる場合が多い。Vgl. Roth, a. a. O., § 1906, Rdnr. 16. なお、かつては、この能力は行為能力に含まれると解されていたが、現在は別個に検討される。Vgl. Holzhauer, a. a. O., § 1896, Rdnr. 24.

[23]     なお、この決定が世話人の職務範囲に含まれていなければならない。Vgl. Roth, a. a. O., § 1906, Rdnr. 9. また、入院を決定するのは世話人であるが、原則として、裁判所の許可を必要とする(第1906条第2項)。

[24]     Beschluß des BGH v. 1. 2. 2006, NJW 2006, 1277 = BtPrax 2006, 145. この判断に対する批判として、Linnhoff und von Looz, a. a. O., S. 122-123. Vgl. auch van Bergen und Diekmann, in: Diekmann/Meier (Hrsg.), Qualität im Betreuungswesen, 2007, Sichern Gerichtsverfahren Qualität? – Zur Problematik der Zwangsbehandlung im Rahmen einer Unterbringung, S. 124-128. なお、連邦通常裁判所がこのように判断する以前、下級審の判断は分かれていた。Vgl. Narr und Saschenbrecker, Unterbringung und Zwangsbehandlung, FamRZ 2006, 1079-1083.

[25]    弁識能力の有無について争いがあるときは、無いものとして扱ってよいとされる。Roth, a. a. O., § 1906, Rdnr. 8.

[26]     この原則について、筆者のホームページ(http://eu-info.jp/r/prin.html#pro200941日現在〕)を参照されたい。

[27]     Roth, a. a. O., § 1906, Rdnr. 20.

[28]     Roth, a. a. O., § 1906, Rdnr. 20.

[29]     Beschluß des BGH v. 1. 2. 2006, NJW 2006, 1277 = BtPrax 2006, 145, Rdnr. 21.

[30]     van Bergen und Diekmann, a. a. O., S. 127. 世話人の判断や裁判所の役割について、Linnhoff und von Looz, a. a. O., S. 121-122.

[31]     Beschluß des BGH v. 11. 10. 2000, NJW 2001, 888.

[32]     Beschluß des BGB v. 1. 2. 2006, a. a. O., Rdnr. 17; BT-Drucks. 11/4528, S. 72, 141. Vgl. auch van Bergen und Diekmann, a. a. O., S. 126.

[33]     Roth, a. a. O., § 1904, Rdnr. 29.

[34]     Beschluß des BGH v. 1. 2. 2006, a. a. O., Rdnr. 24.

[35]     Linnhoff und von Looz, a. a. O., S. 122-123; van Bergen und Diekmann, a. a. O., S. 126-128.

[36]     Beschluß des BGH v. 1. 2. 2006, BtPrax 2006, 145; Linnhoff und von Looz, a. a. O., S. 120.

[37]     Holzhauer, a. a. O., § 1896, Rdnr. 30.

[38]     Seitz, Wohl und Wille als Handlungsnorm im Betreuungsrecht, in: Zander (Hrsg.), Rechtsfürsorge im Sozialstaat, 2005, S. 64-76, 67.

[39]     同趣旨の裁判例について、Holzhauer, a. a. O., Rdnrn. 29-30.

[40]     Vgl. Sonnenfeld, Bericht über die Rechtsprechung zum Betreuungsrecht, FamRZ 2007, 783-791, 783.

[41]     Seitz, a. a. O., S. 73.

[42]     BayObLG, B v. 11. 12. 1996 - 3Z BR 247/96.

[43]     Seitz, a. a. O., S. 73.

[44]     例えば、第1897条第4項、第1901条第2項〜第3項、第1906条第1項、第1908b条第4項が挙げられる。

[45]     BayObLG, BayObLGZ 1996, 136 (Nr. 34) = FamRZ 1996, 1374.

[46]     BayObLG, BayObLGR 1996, 29 (LS) = FamRZ 1996, 507.

[47]     なお、第1908b条第3項は、本人の福祉に反するときは、その意思に反し、世話人を解任しなくてもよいと定めているわけではない。この点について、同条第4項第2文と比較されたい。

[48]     BayObLG, BayObLGR 2002, 79 (LS) = BtPrax 2002, 130 (LS).

[49]     従って、世話人は本人の要望や考えに応じなければならない(第3項)。例えば、本人の滞在場所や住居の決定に際し、世話人が自由に判断しうるわけではなく、本人の要望や考えに応じなければならない。OLG Köln, NJWE-FER 1997, 130 (LS) = NJW-RR 1997, 451. 世話人がこれに応じないことは解任の理由となりうる。Vgl. Seitz, a. a. O., S. 72.

なお、福祉は本人について問題になり、相続人の福祉ないし利益(相続財産の確保)が問われるわけではない。それゆえ、本人のための支出や、従来の社会的な生活を維持するために介護人や話し相手を雇うことは ― 確かに、その費用の支出は相続人の利益に反するが ―、認められる。Vgl. Holzhauer, a. a. O., § 1901, Rn. 10; BayObLG, NJW 1991, 432.

[50]     Holzhauer, in: Holzhauer/Reinicke, Betreuungsrecht, § 1904 BGB, Rdnr. 5; ders, a. a. O., § 1901, Rdnrn. 9 und 12 ff.

[51]     LG Flensburg, Beschluss v. 27. 5. 2002 - 5 T 32/02.

[52]     Seitz, a. a. O., S. 75.

[53]     この点を指摘する文献として、座談会「成年後見制度と高齢者の人権」『長寿社会グローバル・インフォメーションジャーナル』第8号(2008年)210頁を参照されたい。

[54]     Beschluss des OLG München v 30. 3. 2005 - 33 Wx 38/05.

[55]     利用者数増加の原因としては、単に、高齢者の増加だけではなく、本来は制度の適用が認められないケースでも、裁判所が認めていることが指摘されている。Vgl. Drucksache 15/2494, S. 12.

[56]     Bundesministerium der Justiz, Betreuungsrecht, 2007, S. 6.

 


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