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大学とは

 
 下の文章を読み、問題に答えなさい。

 University はラテン語のuniversitas(ウニベルシタス)より派生しているが、後者は宇宙や全世界といった意味を持ち、universe の語源でもある。この点を踏まえ、大学は無限に広がる( A )であり、国家権力に服さない( B )と説明されることもある。しかし、universitasには「団体」または「共同体」という意もあり、それが大学であった。つまり、university の由来は( C )にあり、大学とは学生たちが勉強するために作った組織であった 。世界最古の大学は、1088年、イタリアのボローニャに設けられた“Alma Mater Studiorum”(現在のボローニャ大学)とされているが、当時、学生団体は「教員は学生団体に無断で休講にしてはならない」という規則も設けていた。つまり、世界最古の学則は教員にも向けられていたのである。

(参考1)ボローニャ

(参考2)日本とヨーロッパ


問題1 空欄AとBに入れるべき語を下から一つずつ選びなさい。

 世界の星空  無限の大陸  知の宇宙  自由な世界  統制された社会


問題2 C入れるべき語を下から一つ選びなさい。

 労働団体  労働社会  学生団体  学生生活

 
 正確には「団体」または「共同体」という意味であれ、「知の宇宙」という表現も大学の性質に合致している。つまり、大学とは、森羅万象を無限に探究し、それを発展・承継させる場である。もっとも、最高学府がこのような性質を具備するのは、19世紀に入ってからである。その骨格を作ったのは、ドイツ人のヴィルヘルム・フォン・フンボルト(Wilhelm von Humbolt, 1767-1835)であり、彼の構想に立脚して創設されたベルリン大学は、現在でも各国の大学のモデルになっている。なお、創立者の名にちなみ、同大学は「フンボルト大学」(Humboldt-Universität zu Berlin)とも呼ばれている。


問題3 「森羅万象」の意味を答えなさい。

問題4 19世紀とは、何年から何年までか答えなさい。
 
 
 大学の歴史を概観すると、この学府は11世紀後半から13世紀のヨーロッパで次々に産声を上げ、15世紀に一つの栄華を極めるが、16世紀に入ると衰退する。つまり、近代の幕開け後、大学は「死」に直面するのである。その要因には幾つかあるが、一つ挙げるとすれば、活版印刷技術の発明や発展である。つまり、書物が普及していなかった中世では、評判の良い教授の下に赴いて話を聞くか、著作を書き写さなければ専門知識を得ることができなかった。そのため、自由な知識人である学生たちは、大学のある都市から都市へと移動し続けたが、ドイツ人のグーテンベルク(Gutenberg, -1468)によって活版印刷技術が発明され、専門書が出回るようになると、教えを求め遍歴しなくとも学べるようになったのである。大学はこの時代の波に乗り遅れ、廃止論さえ主張されるようになるが、19世紀に入ると、ナショナリズムの高揚とともに復活する。つまり、ナポレオンとの戦争(1806-1807)に敗れ、フランス帝国に支配されていたドイツ諸邦は、新しい国造り政策の一環として大学改革に着手するが、それが各国に広まっていくのである。より詳細には、教育中心の従来の制度にゼミナールや実験室を導入し、研究開発という役割も大学に担わせたのである。つまり、それまで、研究・発明は個人単位で行われてきたが、国がそれを支援し、国威発揚を目指すことになるわけである。

  大学を教育と研究の場と位置付ける新しい理念を実践したのは、すでに紹介したフンボルトである。ただし、一人の天才の独創に依拠して偉業が達成されたわけではなく、カント、シラー、フィヒテ、シェリングといったドイツ哲学・啓蒙主義者の影響を受けていた。つまり、フンボルトが形にした大学改革は、ドイツ精神文化の結晶であった。


問題5
① 「近代の幕開け」とはいつのことか、また、それはどのようにして始まったのか、本文を読み説明しなさい。

②「ナショナリズムの高揚」とは何か、文章の趣旨に合致するように説明しなさい。
 

 
 
 19世紀以降、大学はフンボルトの考えを実現する形で、学術研究と高等教育の中枢機関として発展していく。大学は単なる人材育成の場ではなく、研究開発の場でもなければならないという彼の理念は現在でも生きているが、我が国の大学の役割は変わりつつある。詳細には、学問を研究・教授する高等教育の場から、基礎教育や就職に役立つ指導を行う場、いわば、( D )へと変貌しつつあるのである。その背景には学生の学力低下と就職難がある。つまり、進学率が大幅に伸び、従来は進学できなかった学力水準の高校生が入学するようになったため、大学は教育レベルを下げなければならなくなったのである。また、基礎学力が弱い学生は職探しでも行き詰まるが、( E )と呼ばれる昨今、大学が教育の一環として就職支援を(半)強制的に実施しなければ、学生は就職できないばかりか、彼らの就職状況が悪いと入学者の確保が困難になり、大学の存亡を揺るがしかねないのである。


問題6 空欄Dに入るべき後を下から一つ選びなさい。

 学生工場  夢実現の場  就職予備校  課外活動


問題7 空欄Eに入るべき後を下から一つ選びなさい。

 就職氷河期 就職の花 売り手市場 買い手市場
  
 
「就職予備校化」や「中高の補修請負」は大学の本来の使命に反する。また、専門的な研究を希望し入学する学生や、向学心のある学生の期待に応えられないといった批判もある。

 他方、学生の学力が低下しているため、高等教育は行いたくても、行えないといった実情を踏まえた意見もある。また、大学が教授する学問など、実社会では役に立たないといった批判もある。このような考えを突き詰めると、「大学不要論」や「大学教育無益論」に行きつくが、説得力を有するであろうか。

 大学の教えは実社会では役に立たないという意見は何も真新しいものではない。つまり、学生の学力が(まだ)高く、高度な専門教育を行っていた時代においても、そのような批判は存在した。その主な論拠は二つあるが、1点目は、大学の専門教育は実社会(実務)の特殊な要請に対応していない、または対応できないことである。つまり、確かに、法学部であれば法について、経済学部であれば経済について専門的に学ぶが、4年間、大学で勉強しただけで、法や経済の専門家として通用するだけの知識を習得することなど、そもそもできないのである。それは、例えば、法学部であれば、「憲法」「民法」「刑法」という基本3科目を中心に学び、それらを基礎として「商法」「行政法」「労働法」、また、「民事訴訟法」や「刑事訴訟法」といった発展科目を履修するが、実社会ではさらに進んだ専門知識が求められる。例えば、地方公務員であれば「地方自治法」や地方の条例、また、銀行員であれば「貸金業法」や金融に関する法令に習熟することが必要になるが、これらは4年間の大学教育では網羅できないほど専門的である。つまり、4年間では足りないのである。もちろん、不動産業に進むのであれば土地・建物の取引や賃貸借に関わる法令、食品等の製造業であれば、食品の衛生や品質に関する法令といったように、求められる法知識は産業分野・業種で異なるが、これらのすべてに対応することなど、到底できるものではない。また、今日の複雑化した(情報化)社会では、学ぶべき事項が無数にあり、専門家の養成が難しくなっている。学生の学力低下に合わせ、教育水準を下げれば、ますます実務の養成を満たせなくなる

 二つの目の論拠は、大学教育では、実務よりも学術、つまり、理論や体系が重視されているという点である。例えば、経済学部であれば、実際の日本経済・市場ではなく、架空のモデルを使い、経済の仕組・構造や法則を理論的に学ぶ。実体経済は生きているが、時事問題が大学教育の中心になることは少ない。

 本学が設ける法学部について説明すると、以下のようになる。同学部では、テレビの法律相談番組に出てくるような、一般大衆の興味を引きつけやすい事件やトラブルではなく、前述したように、「憲」「民」「刑」の主要3科目を中心に学ぶ。学生の関心(知的好奇心)を喚起するため、教員も工夫を凝らすとはいえ、テレビ番組との間には大きな差がある。確かに、そこで扱われる題材は市民生活に身近であり、実社会で役に立つこともあろうが、体系を重視した理論的な法学教育の理想には反する。ここでいう「体系」とは、「憲法」「民法」「刑法」を軸とし、それを履修した後で、「行政法」「商法」「民事訴訟法」といった発展科目を学ぶということである。そのため、例えば、「民法」を学ばず、「行政法」「商法」「民事訴訟法」に進むことは、体系的な法学教育の理念に反する。なお、「民法」の体系は「総則」「物権」「債権」「親族・相続」の四つより構成され、大学は、それぞれ別個の授業を設けているが(なお、債権は「債権総論」と「債権各論」に分かれる)、それらを(指定された)順に、かつ、すべて履修しないと、体系的な法学教育は実現しない。テレビ番組では、「民法」がこのような体系を持つことなど説明されないし、「総則」を飛び越して、「物権」や「債権」に関する問題がクローズアップされることもある。「物権」や「債権」についても、基礎を説明することなく、特殊な問題だけが取り上げられる。そのため、番組で紹介された事件の解決方法は分かっても、他のケースは解決できないといった状況が生じるのである。それを防ぐため、大学では多くの問題に対応できる理論を学ぶ。


問題8 以下の文章を読み、上に書かれていることと合致するものには○を、合致していないものにはXをつけなさい。

1 「行政法」は「民法」を基礎としている。

2  法律の主要3科目は「行政法」「商法」「民事訴訟法」である。

3  法律を基礎から体系的に学ぶには、まず、「民法」を学び、次に、「物権」を学ぶ必要がある。

4 法を体系的に学ぶことが重要であるが、「民法」には独自の体系があり、それを体系的に学ぶことが重要である。
 
 

 法学教育の基盤となる3科目の中でも、中枢的な役割を果たすのは「憲法」であるが、我々の日常生活や企業の経済活動との関連性に着眼するならば、「民法」の方が重要になる。例えば、18歳の少年は、親の同意を得ずに、大学に進学したり、アパートを借りることができるかといった問題は、「民法」の授業の早い段階で学ぶ。また、アルツハイマー病や痴呆症を患う老人であれば、どうなるかといった問題についても、民法の条文をもとに早い段階で教わるが、授業や学生向けのテキストは、条文の内容について説明するだけであり、実際の運用(例えば、実社会において、アルツハイマー病の老人は、法的にどのように保護されているか)に関する解説は省かれている。これが、大学では実務教育ではなく、理論教育が行われているということの例である。なお、大学教員の多くは研究者であり、実務家ではない。そのため、実務に通暁していなかったり、それよりも理論を重視するといった側面もある。

  それでは、「大学で法律を学ぶことは無駄か」といった疑問も出てくるが、決して無益ではない。なぜなら、大学で法学の基礎を学び、法的素養を涵養しないと、実務上の特殊な法律問題を正確に理解できないためである。それは、他の学部でも同様である。また、大学の理論教育を通し、学生は論理的思考力、分析力、文章力、問題発見・解決力などを身に付けることができるが、それらは実社会で生かされる。企業が学生に求めているのも、もとより4年間では修得不可能な実務能力ではなく、基礎的な学力である。また、実務能力が就職の必須条件とされているわけではないため、学生の進路が広がる。つまり、法学部の卒業生が会社で経理を担当したり、出版・編集業務にあたることも決して稀ではない。法律家として働く者の方が、むしろ例外である。状況は他学部でも同様であり、大学で学んだことを直接生かせる職にある人は非常に少ない。

 ところで、前述したように、近年、大学は就職に役立つ授業を重視し、カリキュラムに取り入れるようになったが、そこで習うのは、就職活動の心得、エントリーシートの書き方、自己アピールの仕方などである。つまり、就職した後で役に立つ実践力というわけではない。別の観点から述べるなら、大学における就職指導とは職業訓練ではない。そもそも、企業が学生ないし新卒者に求めているのは実務能力ではなく、基礎力であるが、それは、就職指導ではなく、通常の授業を通し、養われる。


※ 答案は、大学の「講義ノート」の「メッセージ」に入力し、提出してください。
 提出期限は2020年7月22日(水) 18時です。

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