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学問の意義

 
 武士の子は武士に、また、農民の子は( A )にと、人の運命や人生は生まれながらにして決まっていた時代もあったが、現在、我々はそのような( B )を受けることなく、職業を自由に決めることができる。また、( C )や職業によって差別されることもない。つまり、自由と平等は現代社会の基本である。

〔問題〕
 1 空欄Aに適語を入れなさい。
 
 2 空欄BとCに入れるべき適語を下から一つずつ選びなさい。

  • 条件  環境  制約
  • 出自  世界  人生
  • 目標  現実  理想

 しかし、実際には、現代社会の隅々で、この理念が貫徹されているわけではない。例えば、子の人生は親によって一方的に定められるケースが存在する。また、人種差別は自由・平等を追い求める国においても、根強く残っている。なお、性別による差別もまだ存在するとされる一方で、近年は、数値目標まで掲げ、女子の採用や昇進を積極的に優遇したり、「女性専用車両」や「女性専用割引」(レディースデー)を設けるといった逆差別も存在する。また、平等の観点から、女性が職業軍人になることを認める一方で、兵役義務は男性にのみ課している国もある。

 現在、我が国では、男性は18歳に、他方、女性は16歳にならないと法的に結婚できないが(民法第731条)、これは男女差別にあたるであろうか。性別による差別とする場合、不利な扱いを受けているのはどちらであろうか。なお、女性が不利であるとする観点から改められた。つまり、2022年4月からは、共に18歳にならないと、結婚できないようになる。

〔問題〕
3 「人種差別は自由・平等を追い求める国においても、根強く残っている」とはどういことを指しているか、具体例を挙げ、説明しなさい。

4 男性は18歳に、女性は16歳にならないとする現行法は、なぜ女性に不利と考えられるか、その理由を挙げなさい。

 このケースも含め、女性は、平等な待遇を求めて戦ってきた。わずか数十年前まで、女性は「出産・家事マシーン」であり、子育てと家事に専念すべきと目されていたことを考慮すると隔世の感を禁じえないが、彼女たちの中には男性が家庭に入ること、つまり、「専業主夫」を歓迎する者もいる。自分が専業主婦になることには、反対するのにである。また、前段落で述べたことを併せて考慮すると、女性たちは、あらゆる差別の撲滅という崇高な理念を追求してきたのではなく、自らの地位ないし立場の(一方的な)向上を目指してきたと捉えることができる。平たく言えば、自分たちに有利なことのみを求めてきたわけである。

〔問題〕
5 以下の文章は課題文の趣旨に合致するかどうか検討しなさい。
  • 女性は働かず、家事と子育てをしていればよいとされていた時代もあったが、時代はすっかり変わってしまった。
  • 女性は自分たちの地位の向上だけではなく、男性の地位の向上のためにも戦ってきた。
  • 差別を撤廃するという目標は評価できる。

 その一環として彼女たちは多種多様な施策を実践してきた。特に、男性と同等の学歴を手に入れることである。つまり、教育は女性の地位向上に大きく貢献してきたが、これは何も女性や現代社会に限ったことではない。例えば、「アメリカ独立宣言」 を範とし、「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」という有名な一節を残した福澤諭吉(1834~1901)は、次の問題を提起している。

「サレドモ今広クコノ人間世界ヲ見渡スニ、カシコキ人アリ、オロカナル人アリ、貧シキモアリ、富メルモアリ、貴人モアリ、下人モアリテ、ソノ有様雲ト泥トノ相違アルニ似タルハ何ゾヤ」
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 つまり、天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言われており、本来、人の位に差は無いはずであるが、社会には、賢い人もいれば、愚かな人もいるし、貧乏な人もいれば、金持ちの人もいる。また、身分の高い人もいれば、低い人もおり、雲泥の差があるかのようであるが、それは何故、生じているのかという自問に、福澤は、教育を受けているか否かの違いと答えている。要するに、人は生まれながらにして貴賎上下の違いは無いが、学問に勤しみ、物事をよく知る者は貴人、富人となる一方で、無学な者は貧人、下人になるとし、明治維新期の日本人に( D )の重要さを説いたのである。

 もちろん、学校を出ずとも、芸能やスポーツで立身出世を果たす者や、商で富と名声を築く者がいる。また、玉の輿に乗る才に秀でた者もいる。しかし、それらはむしろ特殊なケースで、一般的には学問が人を導き、人を発展させる。約140年前に福翁が説いた、この『学問ノスゝメ』の精神は、特に( E )社会で、今なお生きている。つまり、自由で豊かな生活を求め、異国の地に移り込んできた人々は、その国に溶け込み、希求する理想の生活を手に入れるため、言葉を学び、また、学校・職業教育に励むのである。生計を立てるために必要な仕事に追われ、学ぶ余裕の無い者は子供の教育に財を投じる。つまり、教育が無ければ、ホワイトカラーにはなれず、ゆとりのある生活を送れないことを彼らは知悉している。もちろん、彼らの祖国でも教育の重要性は認識され、就学率は上昇している。例えば、ケニアでも、初等 教育(日本の小中学校に相当する8年制のプライマリー・スクール)は無料となり、9割の子供たちが入学する。もっとも、卒業するのは6割ほどとされている。それは家庭が貧しく、制服代や給食費を払えなかったり、家計の一助となる労働を強いられるためである。そのため、ケニアは年5%程度の非常に高い経済成長を続けているが、貧困層の底上げは見られないという 。快適な生活を求めヨーロッパに移住した者も、( F )を受けなれば、良い職に恵まれ、文化的な生活を送ることはできない。

  確かに、我が国でも教育産業は活況を呈し、学問の意義は社会に浸透しているが(もっとも、青少年には正しく認識されていない節もある)、毎年、大量の移民が押し寄せるヨーロッパでは、それ以上に学問の重要性が叫ばれている。また、教育に対する公的な財政支出も我が国を大きく上回っている 。
〔問題〕
6 空欄D~Fに適語を入れなさい。

 ところで、福澤諭吉が『学問ノスゝメ』の巻頭で「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズ」と述べたのは、人は皆、平等であるという意ではなく、地位に差は無いという趣旨であると解される。しかし、彼が指摘したように、実際には地位に雲泥の差があるのと同様、万人が平等であるわけではなく、生まれた時点で、その差はついている。例えば、政界に進出する上で、政治家の子は圧倒的に有利であるし、一般家庭の子が歌舞伎役者になれるものでもない。また、教育についても、世帯収入との相関関係が強まる傾向にある。つまり、裕福な家庭に生まれた子供の方が成績は良く、学歴や進学する大学のレベルも高いとされている。そうではない家庭の子息の中には、小遣い稼ぎのアルバイトに励む者もいるが、それゆえに、学力の差は( G )。また、本来、奨学金は学費の捻出に窮する学生を助けるために支給されるものであるが、裕福な家庭の子息の方がよく勉強し、成績が良いため、( H )。スポーツの世界でも、試合時の処遇こそ平等であるが、練習環境や公的ないし私的助成には天と地ほどの差があり、平等性に欠けると指摘する声もある。他方、世間からの期待、メディアによる批判、プレッシャーのかかり具合という点では、立場は大きく逆転する。

〔問題〕
7 空欄G~Hに適語を入れなさい。

8 以下の文章は課題文の趣旨に合致しているかどうか検討しなさい。
  • 福澤諭吉は人は皆、平等で、地位に差は無いと述べている。
  • 一般に、裕福な家庭の子供は成績がよい。
  • 有名なスポーツ選手とそうではない選手とでは、練習環境が違うため、平等とはいえない。
  • 有名なスポーツ選手はプレッシャーを強く受けているため、他の選手と同じ条件でプレーしているわけではない。




〔問題〕
 課題文を読み、学問の意義について、あなたの考えを350~400字で述べなさい。

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 2020年6月10日(水) 18時までに送信してください。



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