中世、ドイツ人は多くの国を建設した。(    )はそれらをまとめる連合体としての性質を持っていたが、1806年、フランスの(      )によって解体させられた。その後のドイツ統一過程では、(      )と(      )の覇権争いが深まったが、フランスの(      )に対抗するため、ドイツ人の国・諸邦は(     )を中心にまとまった。そして、1870~1871年の(   )戦争でフランスを敗ると、(     )でドイツ帝国の建国式を執り行った。

 この帝国に加わることができなかった(     )は(     )と手を組み、(     )半島に進出したが、1914年6月、同半島のサラエボで(      )皇太子夫妻が暗殺されるという事件(サラエボ事件)が発生した。(     )がこれに報復すると、第一次世界大戦に発展した。




 この大戦の主戦場はヨーロッパであり、アメリカは被害を受けなかった。そのため、同国は武器や食糧を生産し、輸出することができ、戦後は、世界最大の債権国となった。 しかし、1929年10月、ニューヨーク株式市場で株価が大暴落すると、多くの企業が倒産し、大不況に見舞われた。その影響は世界各地に波及し、世界恐慌に発展した。

 自国経済を保護するため、各国は保護主義に傾倒するようになったが、これが国際摩擦を生み、第2次世界大戦につながったとされている。これを反省し、1947年には諸国間でGATT(関税と貿易に関する一般協定)が締結されたが、GATTは、ある締約国が他の締約国との貿易にかかる関税を15%から10%に減らすならば、その他の締約国との貿易にかかる関税も10%にしなければならないとしている。これを最恵国待遇と呼ぶ。

 なお、関税とは輸入品に課される税金である。例えば、輸入車には10%の関税が課される場合、車両の本体価格が100万円であれば、関税は10万円となる。この関税の分だけ輸入者の販売価格は上がるため、関税は国内産を保護する機能を持つ。なお、輸入車の価格が90万円に下がれば、関税は(  )万円、また、両者を合わせても(   )万円と、当初の100万円を下回り、関税の効果を相殺することが可能になる。 1958年1月、ヨーロッパにおける平和の確立(独仏和解)や経済復興を主たる目的とし、ヨーロッパの( )ヶ国が設立した欧州経済共同体(EEC)は、加盟国間での貿易は自由化するものの、第3国との貿易には制限を設けていた。これは(     )に反するため、GATT上の例外規定に基づき、(    )として欧州経済共同体は設立された。

 なお、この組織は、内部での貿易は自由化するだけではなく、外部に対する貿易規則を統一しなければならない。イギリスはこのような緊密な統合をきらい、他のヨーロッパ諸国(詳しくは、デンマーク、ポルトガル、ノルウェー、スウェーデン、スイス、オーストリア)とともに欧州自由貿易連合(EFTA)を設立したが、これは、外部に対する貿易規則を統一しない点で(   )とは異なっている。

 EFTAとは異なり、EECには農業政策に関する権限も与えられていたが、イギリスはこれにも反対していた。しかし、EECの成功を受け、EFTAを脱退し、1973年1月、EECに加盟した。 アイルランドとデンマークも、イギリスともにEFTAを脱退し、EECに移っているが、(       )は、現在でもEFTAに残っている。




 

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