大学の歴史を概観すると、この学府は11世紀後半から13世紀のヨーロッパで次々に産声を上げ、15世紀に一つの栄華を極めるが、16世紀に入ると衰退する。つまり、近代の幕開け後、大学は「死」に直面するのである。その要因には幾つかあるが、一つ挙げるとすれば、活版印刷技術の発明や発展である。つまり、書物が普及していなかった中世では、評判の良い教授の下に赴いて話を聞くか、著作を書き写さなければ専門知識を得ることができなかった。そのため、自由な知識人である学生たちは、大学のある都市から都市へと移動し続けたが、ドイツ人のグーテンベルク(Gutenberg, -1468)によって活版印刷技術が発明され、専門書が出回るようになると、教えを求め遍歴しなくとも学べるようになったのである。大学はこの時代の波に乗り遅れ、廃止論さえ主張されるようになるが、19世紀に入ると、ナショナリズムの高揚とともに復活する。つまり、ナポレオンとの戦争(1806-1807)に敗れ、フランス帝国に支配されていたドイツ諸邦は、新しい国造り政策の一環として大学改革に着手するが、それが各国に広まっていくのである。より詳細には、教育中心の従来の制度にゼミナールや実験室を導入し、研究開発という役割も大学に担わせたのである。つまり、それまで、研究・発明は個人単位で行われてきたが、国がそれを支援し、国威発揚を目指すことになるわけである。

  大学を教育と研究の場と位置付ける新しい理念を実践したのは、すでに紹介したフンボルトである。ただし、一人の天才の独創に依拠して偉業が達成されたわけではなく、カント、シラー、フィヒテ、シェリングといったドイツ哲学・啓蒙主義者の影響を受けていた。つまり、フンボルトが形にした大学改革は、ドイツ精神文化の結晶であった。


問題4 「近代の幕開け」とはいつのことか、また、それはどのようにして始まったのか、本文を読み説明しなさい。

問題5 「ナショナリズムの高揚」とは何か、文章の趣旨に合致するように説明しなさい。