バルカン半島情勢


問題1 「地域研究(欧州)」のテキストの8~9頁を読み、下記の問題に答えなさい。

(1)バルカン半島にある国の内、EUに加盟している国をすべて挙げなさい。

(2)バルカン半島で起きた「サラエボ事件」をきっかけとしておきた戦争の名称を答えなさい。

(3)この戦争の終結によって崩壊したヨーロッパの帝国を3つ挙げなさい(テキスト33頁参照)。


問題2 以下の文章を読み、問題に答えなさい。

 ユーゴスラビアとは「南スラブ人の国」という意の語であるが、第1次世界大戦後、それを冠する王国がバルカン半島に成立した。同半島には、人種、言語、文字、宗教の異なる多くの国が存在するが、セルビア王国を中心としてまとまったのがユーゴスラビア王国である。なお、建国時の国名は、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国であったが、1929年に、ユーゴスラビア王国に改められた。

 第2次世界大戦中の1941年、王国はドイツとイタリアによって占領された。また、クロアチアはドイツの傀儡国家として、王国から独立したが、ティトーが率いる共産党パルチザンによって解放され、王国に復帰した。

 大戦後は、東欧の共産化が進む中で王制が廃止され、ユーゴスラビア連邦人民共和国の樹立が宣言された。なお、1947年、ソ連とその影響下に置かれた東欧7ヶ国(ソ連を含めると8ヶ国)は、マーシャル・プランと呼ばれた米国の欧州復興支援計画に対抗し、コミンフォルム(共産党情報局)を結成したが、その本部はユーゴスラビアの首都ベオグラードに設置された。

  しかし、ほどなくして、ティトー政権は民族主義に傾倒しているとして、スターリン(当時のソ連の指導者)に批判されるようになった。その結果、1948年、ユーゴスラビアはコミンフォルムから除名された。 以後、ユーゴスラビアは独自の社会主義路線を歩むことになったが、1963年には国名をユーゴスラビア社会主義連邦共和国と改めた。

 また、1980年5月にティトーが死亡すると、国家元首、党首を輪番制とした。 1989年、東ヨーロッパ諸国で民主化が進むと、民族対立が再燃し、冷戦終結後の1991年には、スロベニア、クロアチア、マケドニアドニアが、また、翌年にはボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言した。これを機にユーゴスラビアは解体したが、1992年4月、セルビアとモンテネグロは新たにユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴスラビア)を設立し、旧ユーゴスラビアを承継する国となった。

 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の終結後、経済問題を背景として、モンテネグロで独立の機運が芽生えると、コソボ紛争や NATOによる空爆に連動し、高まっていた。そして、2000年10月の「民衆革命」によって、ミロシェビッチ政権が崩壊すると、モンテネグロの独立は決定的となった。そのため、2002年3月、EUの仲介の下で、両者は緩やかな連合国家を建設することで合意した。2003年2月4日、連邦議会がこれを了承すると、セルビア・モンテネグロが発足した。これにより、「ユーゴスラビア」という名称を持つ国が地図上から消え去った。 なお、2006年5月、モンテネグロは国民投票を実施し、6月、セルビア・モンテネグロから完全に独立した。

 旧ユーゴスラビア諸国の内、オーストリアとの国境に接し、伝統的に深い関係のあるスロベニアは、2004年5月にEUに加盟している。また、同じく、オーストリアとの関係が強いクロアチアは2013年7月に加盟しているが、その他の国々では制度改革(国政の民主化、司法制度改革、汚職撲滅対策など)や経済発展が遅れているため、まだ加盟していない。

 なお、ギリシアはマケドニアという国名の使用に抗議していた。マケドニアのEU加盟には加盟国であるギリシアの承認が必要になるため、近年、マケドニアは国名に「北」を付け、「北マケドニア」に改めた。そのため、ギリシアとの外交問題は解消されたが、その後は、東隣のブルガリアとの間で領土問題ないし民族問題が深刻化している。




旧ユーゴスラビア連邦構成国
 ① スロベニア(2004年5月 EU加盟)
 ② クロアチア(2013年7月 EU加盟)
 ③ ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
 ④ モンテネグロ
 ⑤ セルビア
 ⑥ コソボ
 ⑦ 北マケドニア

(1)旧ユーゴスラビア諸国の内、アレキサンダー大王(アレキサンドロス3世)と関わりの強い国を一つあげなさい。

(2)旧ユーゴスラビア諸国の内、神聖ローマ帝国、厳密には、オーストリアと歴史的に関係の強い国を二つあげなさい。

(3)北マケドニアは、旧ユーゴスラビアから独立した時は単に「マケドニア」と呼ばれていたが、国名が変更された理由を説明しなさい。