ヨーロッパにおける人種差別問題


 2020年5月25日、米国ミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性のジョージ・フロイド氏がうつ伏せの状態で地面に押さえつけられ、死亡するという事件が発生した。彼を地面に押し付けたのは白人の警察官であったことから、全米各地で人種差別に対する抗議運動が起きると、ヨーロッパにも飛び火し、17~18世に行われていた奴隷貿易や、20世紀まで続いた植民地主義といった「負の歴史」の精算が求められるようになった。

 中でも、イギリスでは国内各地で大規模なデモが発生し、参加者である若者の一部は、治安維持にあたる警官に攻撃を加えた。また、約8万人の男女や子供を奴隷としてアフリカからアメリカに運んだとされるコルストンの銅像が若者らによって倒され、海に投げ込まれるといった事件も発生した(参照)。なお、欧州統合の父の一人であるチャーチルも、人種差別主義者であったとして、彼の銅像はスプレーで落書きされたり、抗議文が貼り付けらるといった被害を受けた。

 しかし、ヨーロッパにおける人種差別の被害者は黒人だけではない。特に、ユダヤ人は古代より迫害の対象となってきた。また、ロマ(ジプシー)、東欧人、イスラム教徒に対する差別も深刻な問題である。これらの点については別途、説明することとし、以下では黒人に対する差別に関する近時の状況について解説する。


相手が不快に感じたら成立する差別

 従来の黒人差別とは、黒人を奴隷として扱ったり、または、そのようなことはしないものの、黒人に職を与えなかったり、黒人には施設への立ち入りを認めないといったものであった。しかし、昨今のヨーロッパ社会では、黒人が不快に感じたら、差別するつもりはなくとも、差別が成立すると捉えられる傾向が強まっている。例えば、「黒人は運動神経が発達している」「黒人は歌やダンスがうまい」といった、本来は褒め言葉であっても、人種差別に当たるとされることがある。

 また、一般に使われている単語や表現であっても、かつての奴隷貿易や植民地主義に関わったり、それらを想起させるものは人種差別的であると捉えられる傾向が強まっている。例えば、ドイツの首都ベルリンの中央部には、Mohrenstraße (モーレンシュトラーセ)という地下鉄の駅がある。これは、ムーア人(黒人)を意味する Mohren と 通りを意味する Straße を組み合わせたもので、和訳すると、「ムーア人通り」となる。

Mohren  +  Straße
     モーレン       シュトラーセ
ムーア人        通り

Mohrenstraße駅の内部
写真提供:Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported

 なお、この通りの名称は、かつて、アフリカから連れてこられた黒人がこの界隈に住まわされていたという一説にちなんでいるが、黒人がベルリンの中央部に住んでいたことは、彼らはドイツ社会に溶け込んでいることを示すものと捉える立場もある。しかし、近年は、Mohren は植民地主義を想起させ、差別的ないし侮辱的なニュアンスを含んでいると解される傾向が強まっている。そのため、Mohrenstraße ではなく、M*straße と記すWebページも存在する(参照)。

Mohrenstraße

M*straße

 なお、これは、黒人が不快に感じるかどうかより、不快に感じさせないようにするための配慮である。

 そして、ジョージ・フロイド事件をきっかけとする人種差別撲滅運動が高まった2020年7月初旬、地下鉄を運営する BVG は、駅名を Glinkastraße に変更すると発表した。Glinka(グリンカ)とは、この駅の近くに住んでいたロシア人音楽家であるが、後に、彼は反ユダヤ主義者であったため、新しい駅名として不適切であると批判されるようになった。

 そのため、駅名の再考が行われ、翌月、Anton-Wilhelm-Amo-Straße に変更することが発表された。なお、Anton Wilheml Amo とは、18世紀初頭、ガーナで生まれた黒人で、オランダに奴隷として連れてこられたが、ドイツで学業を修めた人物である。



表現による人種差別
 SNSが普及した現在は、言葉による人種差別が社会問題になっているが、2020年5月、ドイツでは以下の事例が発生した。


Denis Aogo
写真提供:Creative Commons Attribution-Share Alike 4.0 International

 Denis Aogo(デニス・アオゴ 写真上)は、2007~2013年、ドイツのサッカー・ナショナルチームに招集され、プレーしたこともある人物であるが、近年は、テレビでサッカーの解説をすることもあった。しかし、彼は黒人であるため、かつての名ゴールキーパーである Jens Lehmann(イェンス・レーマン)は、SNSに以下のような内容の書き込みをした。

君たちは Aogo を視聴率を稼ぐための黒人(Quotenschwarzer)として使っているのか?

 この書き込みは、Aogoではなく、テレビ関係者に対して送ったものと思われるが、実際には、Aogo に送られてしまった。そして、それを読んだAogoが「視聴率稼ぎの黒人(Quotenschwarzer)」は人種差別に当たるとして憤り、この投稿を公開したため、広く知れ渡ることになり、Lehmann は職を失うことになった。


Jens Lehmann
写真提供:Wikipedia Deutschland

 なお、その数日後、Aogo は、サッカーの解説をしている際、「選手達はガスを吸って死ぬまで練習している」と述べたが、これは第2次世界対中、ユダヤ人が強制収容所に送られ、ガス室で殺害されたことを想起させる不適切な表現として批判されるようになった。その結果、Aogo も解説者としての職を失うことになった。


Boris Palmer
写真提供:Von Superbass - Eigenes Werk, CC BY-SA 4.0

 このように二人の元サッカー選手が失言により職を失う中、今度は、ドイツ・チュービンゲンで長年、市長を務めている Boris Palmer(ボリス・パルマー、写真上)が、黒人である Aogo を冷笑する投稿を facebook に載せ、波紋を広げている。それは、「Aogo こそが人種差別をする人物だ」と述べるものであるが、その理由として、「Aogo は黒人の性器を女性達に提供している」ことが挙げられている。ドイツの政界において、Palmer のこの投稿は、一般に、人種差別に当たると受け止められているが(参照)、前述したように、他人に、人種的な観点から不快な思いをさせると、人種差別が成立することを如実に示していよう。



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