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リストマーク はじめに

 EC設立当初より、加盟国は外交政策の共通化に関心を抱いてきたが、それが組織され、発展するのは、1990年代中盤以降のことである。その背景には、1993年11月にEUが発足し、共通外交・安全保障政策がその「第2の柱」として制度化されるようになったことだけではなく (リストマーク 参照)、冷戦の終結、ユーゴスラビア危機、また、米国同時多発テロやイラク戦争など、EUを取り巻く世界情勢の変化が存在する。第3国で生じた紛争は、EU内の安全をも脅かし、EUは国際テロの脅威にもさらされている。その他、経済・社会・環境の持続的発展、環境保護や種の絶滅などにについても、国際的な関心が高まり、重要な外交問題に発展している。これらの多様な問題に対処する必要性に基づき、「第2の柱」は著しい発展を見せているが、世界情勢の変化に伴い、政策も変革の時代にある。




リストマーク 政策の発展

 経済政策の統合は早期に実現したのに対し、外交・安全保障(防衛)政策の歩みは非常に鈍かった。その発展過程の概要は以下の通りである。


1952年に欧州石炭・鉄鋼j共同体 (リストマーク 参照) が発足した後、欧州防衛共同体の設立も提唱された。同共同体は、フランス軍の主導下の下、敵国であったドイツの参加も認めるヨーロッパ防衛組織であったが、1954年8月、ドイツの再強化に懸念を示したフランス議会は、同共同体設立条約の批准を見送った。そのため、ヨーロッパ独自の防衛機構を設立する構想は挫折する (リストマーク 参照)。


1970年10月、当時の加盟国外相は、欧州政治協力 (EPC)を導入し、外交政策の調整に向け、慎重に歩み寄りを見せ始めた(参照)。この制度は、加盟国の外交政策の調整を目的としているが、ECのような超国家機構としての性格は与えられず、また、加盟国の全会一致で決議が採択された。当初、欧州政治協力は、ECの枠外で実施されるが、1987年7月発効の単一欧州議定書に基づき、EC第1次法上も正式に承認されるようになる(参照)。


1989年に生じたベルリンの壁崩壊や冷戦の終結は、外交政策の共通化に対しても新たな刺激を与えることになった。1991年12月、オランダのマーストリヒトにおいて、加盟国政府は、欧州政治協力を共通外交・安全保障政策に発展させることに合意し、EU条約が制定された。これにより、加盟国間の外交政策(また、広く政治政策)には新たな枠組みが与えられ、また、防衛政策についても、制度的・政治的基盤が整った。

1992年、いわゆる「ペトルスブルクの課題」が採択され、すでに1955年に設立されていた軍事組織である西欧同盟 (WEU リストマーク 参照)をEUの防衛組織に発展させる試みが開始される。危機管理、平和の維持・創出、また、人道支援が重大な課題となる。

1999年12月、ヘルシンキで開催された欧州理事会は、共通外交・安全保障政策の一環として、欧州安全保障・防衛政策の大綱を決定した。具体策として、加盟国の軍隊や警察で構成され、迅速に投入しうる軍隊の編成が決定されている。