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ジプシーと周りの人々


 古い物語でジプシーのことを知った。彼らは家を持たず、各地を転々としながら音楽を演奏したり、踊りを披露することで生計を立てていたようだが、今でもヨーロッパにはジプシーがいると聞いて驚いた。戦争や天災が原因で生活の場を失い、大きな不安・不満や葛藤を抱えながら生きている人もいる一方で、どこかに定住することもなく漂流するジプシーは、満足感や充足感に満たされながら毎日を過ごしているのであろうか。また、将来への不安は無いのだろうか。  

 人間や動物の生き様や思想は育った環境に大きく左右される。例えば、一歩も戸外に出ることなく室内で飼われる猫や、空の大きさを知らない籠の中の鳥は、外界を知らないため、私たちが彼らに対して持つ、かわいそうという感情を抱くことすらないのかもしれない。  

 ジプシーの子供たちは定住することを知らずに育つし、学校に通うこともないため、学校がどういうものか知らないだろう。親から教えてもらうのは歌や踊りであったり、地下鉄に乗り込んでは笛を吹き、乗客にお金を乞うことだけかもしれない。生きるために、スリを働くこともあるだろうが、違った生き方など想像できないのかもしれない。

  そういうジプシーの暮らしぶりを見ていると、周りの人の方が不安になるらしい。病気になったらどうするのだろうか、治療費など払えるのだろうか。急に親が死んでしまったら、子供たちはどうなるかと。

 その一方で、よそ者であり、経済力や学力もないジプシーは、昔から差別や迫害の対象になってきた。放浪の民であれ、人間であることには変わりないため、差別や迫害から免れ、また、最低限度の生活が保障されるべきである。そのため、現在、ヨーロッパ諸国は法律を設け、ジプシーへの差別や迫害を禁止し、また、彼らに住宅や生活に必要な資源を提供することを地方公共団体に義務付けている。しかし、学校に通うこともないジプシーが定職を得ることは難しく、ジプシーの子はジプシーにしかなれない状態が続いている。確かに、例外も存在し、公職(例えば議員)に就くような者もいるが、この法律があるために、ジプシーは社会に依存してしまい、努力を怠っているとも言われている。

 フランスも上述した法律を制定しているが、ジプシーは地域の治安や雰囲気を害してしまうため、住民の反発も強い。そのため、フランス政府は、ジプシーを母国とされるルーマニアに送還することを決めた。帰国に応じる者には手当てまで支給されたが、これはEU内の人の移動の自由を保障するEU法に反すると厳しく批判された。フランスもルーマニアもEUに加盟しているため、EU法を遵守しなければならない。

 私たちの国、日本では、2011年3月の大震災や原発事故のために家や仕事を失い、今なお不自由な生活を強いられている人が大勢いる。その一方で、学校に通い、さらには大学進学を許されている者も大勢いる。しかし、そういう教育の機会を与えられている者のすべてが勉学に勤しんでいるわけではない。また、大学生になっても、ノートがとれなかったり、または、とろうともせず、親や教員にあれこれ世話してもらわないと、卒業も就職もできない学生が少なからずいる。彼らは積極的に友達を作ることも、挨拶をすることもないという。また、教室に入っても、電気をつけず、暗い状態のまま座っている。すべてを親や教員がやってくれるから、自ら行動しないのだろうか。社会に依存しているジプシーのように。なお、すでに自立しているが、会社の倒産や病気といった困難に直面し、親に助けを求めることとは大きく異なる。

 上の文章を読み、あなたの考えを述べなさい。

 8月10日(月)18時までに送信してください。


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