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日本人の意思伝達

 
 「以心伝心」という言葉がある。心の内の思いを口にしなくても、相手に伝わるという日本人の感性の細やかさを表したものとされ、外国人、特に、欧米人との違いが強調されることがある。つまり、我が国とは対称的に、自己主張が重んじられる西洋では、はっきり言わなければ相手に伝わらないどころか、相手が気を利かせてくれることもないという。また、日本人の意思表示は理解し難いと批判されることもあるという。しかし、本当にそうであろうか。欧米にも、他人の心情を察してくれる人はいる一方で、日本にもそれができない人は大勢いる。言われないと分からなかったり、言われたことしかやらない人がいるのも事実である。また、夫婦間ですら、すれ違いは往々にして生じる。東日本大震災で家を失ったため、二人三脚の避難所生活を余儀なくされ、初めは絆が深まったが、次第に会話が減り、今では意思の疎通がとれなくなったと嘆く夫婦も少なくないようである。現在のコロナ禍で、同じ屋根の下で生活する時間が長くなると、家庭内暴力が増えたり、離婚する夫婦が増えているようである。

  確かに、欧米では言葉による自己表現が重視されるとはいえ、表情も重要な表現要素となっている。そのため、笑みを絶やさないよう心がけている人や、無表情な日本人を見ると、「何か不満でもあるのか」と考え込む人がいる。また、「目は口ほどに物を言う」という現象は欧米の方がより鮮明に現れる。特に、女性の目は多くのことを語っており、それは相手にも確実に伝わる。また、欧米人は握手する手の力強さや温もりより信頼、激励、同情、哀悼といった様々な念を感じとっている。つまり、彼らも心で感じているのである。なお、米国のカントリー・ミュージック・シンガーである Keith Whitley(1954-1989)は、“[You say it best] When You Say Nothing at All” と題する名曲を残している。

 そもそも、日本人の美徳の一つに挙げられる「以心伝心」で伝わることとは何であろうか。「昨晩は肉だったから、今日は魚を食べたがっているはずだよね」や、「明日から、また出張だから、スーツケースを出しておいてあげよう」といった類のことであろうか。その程度のことであれば、外国でも十分に通用する。

  それに対し、誕生日のプレゼントやお土産に一番欲しがっているものは何か、そういうことは肝胆相照らす仲でも、「以心伝心」で伝わるものではない。つまり、希望に沿わないものを買って来て、相手を落胆させるのはよくあることだ。

  また、意気消沈して帰宅する子供の顔を見れば、学校で嫌なことがあったことなど、親は容易に察することができるが、それは欧米のパパやママでも可能である。しかし、学校で何が起き、子供は機嫌を悪くしているのかといったことの詳細は、子煩悩な日本の父や母でも言葉なしで感得しうるものではない。 要するに、「以心伝心」で伝わる情報の量は決して多くなく、また、高度なものではないということである。そのため、お互いを知るための会話が必要になる。感謝や謝罪の気持ちも言葉なしで伝わるが、言葉にして伝えることに大きな意義がある。

 「以心伝心」とはテレパシーではなく、「耳」を「目」や「頭」で補っているようなものであるが、「一を聞いて十を知る」という古い表現が示すように、実際に聞いたことよりも遥かに多くのことを理解できる賢人もいる。もちろん、洋の東西を問わない。教えたこと以上に、多くのことを学ぶのは「以心伝心」ではないが、観察力、洞察力、思考力がその源となっている点では共通している。

 なお、『広辞苑』によれば、「以心伝心」の本来の意は、言葉では表しきれない仏法の神髄や悟りを上の者から下の者の心へ伝えることにあり、元々は禅宗の語とされる。同様に、怪力乱神 や感慨無量など、言葉では語れない事柄や思いがあるが、これらは言葉にして伝えることもできるが、言わなくても伝わるという意味の、日常生活における「以心伝心」とは異なる。他方、衷心からの哀悼や衷情・真心などは言葉で表せないという点で、本来の「以心伝心」に通じるものがある。


問題 以下の文章を読み、筆者の意見に合致しているものには○を、合致していないものにはXをつけなさい。

1 「以心伝心」とは仏教用語であるが、仏教には関係しない日常生活でも使われるようになった。

2 職人技を言葉で伝授するのは難しく、弟子は師匠の仕事ぶりを見ながら学んでいくが、これは本来の意味の「以心伝心」に類似する。

3 真心も言葉にしないと相手に伝わらない。



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