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E U な い し 欧 州 統 合 の 主 た る 目 的

 ヨーロッパの国々は、政治、経済、司法(権利保護制度)、防衛など、様々な分野において政策の統一ないし調整〔1〕を推し進めている。このような過程ないし現象を欧州統合と呼ぶが、欧州統合を邁進させてきた背景には、平和の維持・確立といった現実的な要請が存する。これは、古よりヨーロッパでは戦火が絶えないことを考えれば容易に理解できるであろう〔2〕。  

 その他の欧州統合の基本理念として、経済活動や人の移動の自由化を挙げることができる。国境が海によって隔てられている日本とは違い、ヨーロッパでは古くから通商や人の移動が頻繁に行われてきた。これを保障し、また、人々の生活の質を向上させるためにも、欧州統合は必要と考えられてきた。もっとも、これは平和が確立されていないと実現しがたいことに注意を要する。

  さらに、アメリカ合衆国や旧ソ連などの列強に対抗するには、ヨーロッパ各国は団結しなければならないといった認識(国際舞台における名声ないし発言力の維持・強化)も、欧州統合の原動力となった〔3〕

 なお、1989年に東西冷戦が終結すると、鉄のカーテンによって分断されていたヨーロッパの再統一という新しい課題が生まれた。再統一とは旧東側諸国のEU加盟を指すが、2004年5月の(第1次)東方拡大 を皮切りに実現していく。


〔まとめ〕欧州統合の必要性・目的
  1. 平和の維持・確立
  2. 経済活動や人の移動の自由化
  3. 国際舞台における発言力の維持・強化
  4. 東西ヨーロッパの再統一(冷戦終結後の新しい課題)



 脚注

〔1〕
統一とは諸国の制度を同じにすることであるのに対し、調整とは、諸制度の相違を少なくすることである。この違いはEU法を学ぶ上で重要である。

〔2〕 近似の顕著な例としては、ロシア・ウクライナ間の紛争を挙げることができるが、EU統合の必要性は、特に、第1次世界大戦(1914~1918年)と第2次世界大戦(1939~1945年)によって認識されるようになった。欧州統合に関する文献として、see Thomas Oppermann, Europarecht (Verlag C. H. Beck 1999, 2nd edition), paras. 3-51. なお、ヨーロッパ各国が協調して平和を確立し、これを維持することの必要性を説いた古典として、例えば、Immanuel Kant,“Zum ewigen Frieden”(1795年)が挙げられる。

〔3〕 国際舞台におけるヨーロッパの衰退を指摘し、その復興の必要性を説く見解は、第1次世界大戦後に主張されるようになった。なかでも、オーストリアの貴族、クーデンホーフ・カレルギー(Coudenhove-Kalergi)伯は、1922年、第1次世界大戦で荒廃したヨーロッパが再興し、米ソ両大国に対抗しうるようになるためには、ポーランドからポルトガルにわたる諸国家が政治・経済的同盟(汎欧州同盟)を結成することが必要であると訴えた(汎ヨーロッパ運動)。彼の見解は1920年代に多くの賛同者を集めて発展したが、1930年代に入ると国家主義が台頭し、鎮圧された。そして、次第にヨーロッパ各国の協調は弱まり、再び戦争(第2次世界大戦)へと突入することになった。
なお、カレルギーの母親は日本人であり(父親はオーストリア人)、日本の童謡を聴きながら成長したと言われている。彼の祖国、オーストリアは、当時、多国籍国家であり、ヨーロッパ諸国民の共存に理解が深い国であったが、1930年後半以降は、ナチス・ドイツと手を組んで外国人を排斥し、第2次世界大戦を引き起こすことになった。戦争を遂行した責任から、戦後、オーストリアは永世中立国となり、西側にも東側にも属しなかったが(ドイツとの合併という同国の要望は、諸外国の反対にあい実現しなかったという経緯もある)、冷戦終了後の1995年にはEUへ加盟している。クーデンホーフ・カレルギー伯に関して、例えば金丸輝男編「ヨーロッパ統合の政治史」(有斐閣)1996年8頁以下(金丸)を参照されたい。




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