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ヨーロッパの経済統合


スイスとヨーロッパ経済統合


 永世中立主義を採るスイスは、第2次世界大戦後、東西どちらの陣営にも属さないばかりか、国連にも加盟していなかったが(なお、2002年3月3日の国民投票の結果を受け〔支持率は53.5%〕、同年9月10日、国連加盟を果たした)、EFTA の枠内で西欧諸国と経済統合を進めてきた。また、1972年にはECとも 自由貿易協定 を締結している。同様に、その他のEFTA加盟国も、ECとの関係を強化しており、このようなヨーロッパ諸国間の経済統合は、後に、EEA に発展するが、EEAの設立に向けた作業も大詰めを迎えていた1991年10月19日、スイス連邦政府(Bundesrat)は、EC加盟を最終目標に設定した。そして、世界銀行への加盟が国民投票で可決されるなど、国際化の機運が高まる中、7ヶ月後の1992年5月20日、正式に加盟申請を行っている。なお、EEA設立協定は、その直前の5月2日に締結されている。しかし、その批准に先立ち、12月6日に実施された国民投票で、スイス国民は同協定の批准を僅差で否決した(それゆえ、スイスは、現在でも EEA に加盟していない)。その理由は、EEA加盟はEC加盟への第一歩に当たり、自国の独立性ないし主権の喪失につながるとの見解が根強く残っていたためとされている。これを契機にEC加盟についても再検討されるようになる。EC(EU)との加盟交渉は行われていないため、1992年の加盟申請は「冬眠状態」にある。

 世論は依然としてEU加盟に消極的であるが(もっとも、賛成派との差は決して大きくない)、スイス政府は、1993年以降も、EU加盟を「戦略的」目標、ないし、単なる目標に掲げており、加盟申請を撤回していない。また、現政権も、2003〜2007年の任期中は、従来の方針を継承するとしている。

 しかし、スイスの有力紙 Neue Zürcher Zeitung (NZZ) によれば、2005年10月26日、スイス政府は、EU加盟を目標から削除したとされる。もっとも、1992年5月に行った加盟申請は撤回せず、EU加盟は長期的な選択肢の一つに留まる。これは、プロポーズしたからといって、結婚するとは限らないが、いつかは結婚する可能性も否定できないことに似ているとする解釈を NZZ は指摘している(参照)。政府が新方針を採用した理由は明らかにされていないが、EUに加盟するよりも、現在の bilateral な統合関係を発展させること、つまり、緊密な統合より、フレキシブルな統合が国益に適うと判断されているものと解される。2005年は、EU制度への参加に関し、2度、国民投票が実施されているが(@ シェンゲン・ダブリン制度への参加(6月5日)、また、A 人の移動の自由に関する制度を新EU加盟国に拡大すること(9月25日))、それぞれ、55%、56%の賛成票を得ている。

 



(参照) NZZ v. 30. Oktober 2005 (Der neue helvetische EU-Kompromiss

NZZ v. 30.Oktober 2005 (Die Schweiz ist so nahe wie nie an der EU



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(2005年11月3日 記)