草案の起草
6か国体制でスタートした諸制度を改正し、東方拡大 に備えるため、アムステルダム条約 と ニース条約 が制定されたが、課題は十分に達成されず、本質的な問題の解決は先送りされた。そのため、ニース条約にはEUの将来に関する宣言(OJ 2001 C
80, 85)が盛り込まれ、さらなる改革の礎が築かれた。改革の重要課題は、透明性を高めることによって、EUをより市民に身近な存在にし、また、
その政策・諸制度の実効性を高めることであった。
2000年12月にニース条約 が締結された当時、EU法(EC法)は、8つの基本条約(参照)と、50を超える議定書や附属文書に基づいており、体系的な理解は決して容易でなかった。欧州憲法条約は、従来の基本条約に取って代わり(なお、欧州原子力共同体設立条約は除く)、EU法の構造を分かりやすくする機能を有している(参照)。
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上掲の宣言に基づき、2001年、ベルギーのラーケンにおいて、欧州理事会は、EUの将来像について審議するための協議会(Convention)を設置することで合意した(Bull
EU 12-2001, 21 [参照])。協議会は、最終的に、欧州憲法条約草案を起草することになっていたため、「憲法協議会」とも呼ばれるが、座長には、フランスのジスカール・デスターン(Giscard d’Estaing)元大統領(参照)が任命された。
協議会は、2002年3日1日から翌年の7月10日にかけて開かれ、加盟国や新規加盟予定国の政府代表、国内議会や欧州議会の代表、また、欧州委員会の代表が参加した。さらに、一般市民の意見を反映させるため、公聴会も実施された。従来、EU・ECの基礎となる諸条約の制定・改正は、加盟国政府の代表により、非公開で審議されていることを考慮すると、憲法条約の起草過程は画期的であると言える。
2003年6月19日、協議の末、憲法条約草案はメンバーの同意により採択され、翌日、ギリシャのテサロニキ(Thessaloniki)において、ジスカール・デスターン座長より欧州理事会に提出された。これを受け、理事会は、2003年10月から翌年5月にかけて実施される政府間協議のたたき台として草案を受領した。なお、その後、憲法草案は、2003年7月10日に修正され、同月18日にEU理事会議長に手渡されている。
草案の構成
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前文
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第1部
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EUの設立・目標、EU市民権、EUの権限、機構制度 (Article 1 - Article 59)
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第2部
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基本権憲章 (Article II-1 - Article II-54)
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第3部
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EUの政策と機能 (Article III-1 - Article III-342)
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第4部
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最終規定 (Article IV-1 - Article IV-10)
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