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リストマーク コソボ紛争EU外交・安全保障政策


 

 以下は、拙稿「ユーロ導入後のEU 欧州連合  1999年上半期におけるEUの法と政策の発展 」平成国際大学編『平成法政研究』第4巻第1号(1999年11月)53〜100頁より、一部、抜粋したものです (一部修正済み)。なお、脚注はすべて省略してあります。


   

 

 1999324日、NATO軍のユーゴスラヴィア空爆により激化したコソボ紛争は、外交・安全保障政策の分野におけるEUの行動力を試す試金石となった。ユーロの導入により、経済統合はさらに一段と密度が増したのに対し、政治統合はまだ十分に発展していないことが多方面で指摘されているが、これは特に外交政策の分野において当てはまる。EUの政治手腕の貧弱さが指摘されてから久しいが、根本的な改善はまだなされていない。

 

 199311月に発効したマーストリヒト条約は、共通外交・安全保障政策について定めているが、これはEUの政策ではなく、加盟国の政策である。要するに、外交政策の分野における加盟国の主権は、まだEUに委譲されていない。なお、この点は新EU条約においても基本的に修正されていない。EU加盟国が外交ないし安全保障に関する主権をEUに委譲することに反対しているのは、例えば 、イギリス、フランスまたはスペインなど、かつて世界各地を支配した加盟国が、自らの外交権限を他に譲り渡したくないからであり、また、国連安全保障理事会の常任理事国で、核保有国でもある英仏は、独自の安全保障制度を重視しているからである。

 

  NATO軍のユーゴ空爆は、ベルリン欧州理事会の最中に開始され、また 、紛争の終結はケルン欧州理事会の最中に見通しが立った。その開始と終結の時期に欧州理事会が開催されたことは、EU加盟国の団結力を高めるのに効果的であったが、逆に、紛争のために加盟国は本題に集中することができなかったという欠点があった。


 コソボ紛争に関しては、以下の点について指摘すべきであろう。

 @ EU加盟15ヶ国のすべてがNATOに加盟しているわけではないので、NATOのユーゴスラヴィア空爆に関し、EUレベルで統一した行動はとれなかった。例えば、NATOに加盟していないオーストリアは、自国の領空をNATO軍機が飛行するのを禁止した。なお、同じくNATOに加盟していないフィンランドのアーティサリ(Ahtissari)大統領は、19995月以降、NATO/EUとユーゴスラヴィアの仲介だけではなく、フィンランド・ロシア間の友好関係にあずかり、NATO/EUとロシア間の意見調整にも貢献した。

 

 A NATOに加盟しているEU加盟国間でも、例えば、空爆に関しては賛否両論が主張された。例えば、イギリスは当初から(米国が空爆を決断する前から)空爆を積極的に支持したが、ユーゴスラヴィア(ないしセルヴィア民族)との友好関係を重視するギリシャ政府やイタリアとフランスの議会は、早くから空爆の中止を要請していた。非軍事施設への攻撃に対しては、ギリシャとドイツの抵抗が強く、NATO加盟国間の団結力の維持は非常に困難であったとされる。


 B EU加盟国の政策の相違が顕著に現れたのは、コソボ難民の収容に関してであった。一般に、難民受入れに積極的なドイツは、今回も最も多くの難民を受け入れたが、他の加盟国は非常に消極的であり、ドイツの内務大臣は他の加盟国を批判している。

 

 C もっとも、外交的には、EU(加盟国)は統一して行動することができた。その理由としては、例えば 、理事会議長国であったドイツが加盟国の見解の調整に貢献したこと(ユーゴスラヴィアとの交渉グループ〔英、米、独、仏および伊〕に含まれていなかったEU加盟国とも見解の調整を行うため、非公式のEU外相会議や文書の交換がなされた)、コソボ紛争特別委員(Sonderbeauftragte)が任命され、同人によって加盟国の統一見解が表明されたことなどが挙げられるが、最も重要な理由は、ヨーロッパにおける紛争はヨーロッパ諸国によって解決すべきであるという考えがEU加盟国間に浸透したことである。これには、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争の際の失策が良い教訓として活かされている。

 

 D NATOの空爆が中止された610日、バルカン半島安定化協定が多数の関係諸国によって締結されたが、これはEU理事会議長国ドイツのイニシアチブに基づき作成されたもので、紛争後の和平交渉において、EU(加盟国)は主導的な役割を果たしている。

 

 コソボ紛争は、アメリカを頼らない、独自の安全保障制度を拡充する必要性をヨーロッパ各国に強く認識させた。また、西ヨーロッパにおける平和の確立(特に独仏両国の対立の解消)には、欧州諸共同体の設立が必要であったように、バルカン半島において和平を確立するには、地域全体の調和のとれた発展が必要であること、また 、その方法の一つとして、東欧諸国がEUに加盟する必要性が強く認識された。